「条理を超えた恐怖」とは何か?『破墓/パミョ』で韓国の国民的監督に躍り出たチャン・ジェヒョンの「オカルト」世界
韓国映画界でも屈指の作家性と、ヒットメイカーとしての実力を兼ね備えた若き鬼才、チャン・ジェヒョン監督。その最新作『破墓/パミョ』(公開中)は彼の集大成であり、新境地とも言える傑作である。本国ではシナリオ集「オカルト三部作」まで出版されるほどの人気監督だが、日本ではこれからその名が広く知られていくことだろう。そんな監督のフィルモグラフィーと、他の追随を許さない個性を、個人的体験を交えて語っていきたい。 【写真を見る】掘り返された墓の中から出てきたものとは…⁉️(『破墓/パミョ』) ■原点は『12人目の助祭』にあり チャン・ジェヒョン監督の長編デビュー作は『プリースト 悪魔を葬る者』(15)。欧米キリスト教圏では『エクソシスト』(73)以来おなじみの題材…悪魔祓いの儀式という「聖と邪」が最も接近する密室の死闘を、韓国を舞台にリアリティをもって描いたオカルトホラーの佳作である。自身もクリスチャンである監督は脚本も執筆し、それまで蓄積してきた深い知識と卓抜したリサーチ力で物語を補強。いたいけな少女の悪魔祓いに挑む、やさぐれ中年神父と若き助祭のバディムービーとして展開する巧みな作劇で、一級の娯楽作に仕上げている。観客に愛される術を心得た天性のストーリーテラーぶりは、その後の監督作品で確実にレベルアップしていく部分である。 この作品は、監督が映画業界で注目されるきっかけとなった短編『12人目の助祭』(13・未)をもとにしている(のちに『破墓/パミョ』に主演したキム・ゴウンもこの短編を観て監督のファンになったと語っている)。筆者が『プリースト 悪魔を葬る者』を最初に観たときは、正直言ってあくまで新人監督の「腕ならし」という印象だったが、後年『12人目の助祭』を観たとき、印象はガラリと変わった。 商業映画の作り手として第一線で通用するレベルの演出力は、この短編の段階でチャン・ジェヒョン監督はすでに身に着けていた。そして、エクソシズムというバタくさい題材を扱いながらも、最終的には韓国国内の社会問題に切り込む鋭さと骨太さは、むしろ長編版ではマイルドに抑えられていたと言ってもいい。ある意味、ドラマ「D.P. -脱走兵追跡官-」(21~)の先取りとも言える傑作短編である。 ■将来の危惧すら覚えた意欲作『サバハ』 チャン・ジェヒョン監督の凄さを筆者が初めて認識したのは、日本ではNetflixで公開された長編第2作『サバハ』(19)だった。ほとんど宗教学者レベルのディテールの詰め込みぶり、娯楽映画のドラマツルギーを逸脱するかのようなシナリオの重層構造、韓国の多彩な宗教事情をモチーフに「聖と邪」「善と悪」の反転という意欲的テーマに挑む堂々たる作風に、とんでもない監督がいるものだと舌を巻いた。 韓国で社会問題化している新興宗教の違法行為を追及し、自身も糾弾対象となりながら調査活動を続けるアウトサイダー的な牧師(イ・ジョンジェ)を主人公に、まったく異なる登場人物たちのドラマが予想外の結末に向かって収斂していく『サバハ』のストーリーは、それこそ映画3本分くらいの濃密さがある。たとえて言うなら、韓国の新興宗教詐欺を描いたヨン・サンホ監督の衝撃作『我は神なり』(13)、朝鮮固有のシャーマニズム“巫俗”と韓国でも盛んなキリスト教信仰を絡めた団地ホラーの隠れた名作『不信地獄』(09・未)、そこに『コンスタンティン』(05)を思わせるオカルト捜査劇のエッセンスまで導入したような作りと言えようか。また、条理を超えた「神仏との邂逅」を描くシーンでは、香港スピリチュアル・ホラーの金字塔『魔 デビルズ・オーメン』(83)をも想起させる。 圧倒されつつも、このまま行くと観客を無視した難解な領域に突入してしまうのではないかと危惧したのも、また事実。それが“要らぬ心配”だったことは、監督自ら次作で見事に証明してみせた。 ■日本人にも無縁ではない衝撃作『破墓/パミョ』 満を持して発表された長編第3作『破墓/パミョ』は、チャン・ジェヒョン監督がいよいよ「国民的監督」として覚醒した記念碑的作品である。もともと呪いや憑依をテーマにした重苦しい土俗的ホラーとして本作を構想していた監督は、コロナ禍の影響で来場者が激減した劇場の光景を見て、「映画館に観客を取り戻さなければ!」という強い使命感をもって脚本を練り直したという。そこで導入されたのが、「チームもの」の要素だった。 実力派女優キム・ゴウンが優美かつ風格たっぷりに演じる若き巫堂(ムーダン)のファリムと、その弟子の青年ボンギル(近年ドラマで注目を集める若手俳優イ・ドヒョン)からなる師弟コンビ、韓国を代表する名優チェ・ミンシクが説得力満点に演じるベテラン風水師サンドク、そして韓国国内のあらゆるタイプの葬儀を手がけるクリスチャンの葬儀師ヨングン(その顔を知らぬ者はいないバイプレイヤー界の重鎮、ユ・ヘジン)……この4人の主人公は、韓国社会における宗教的混交を体現すると同時に、観客に愛される娯楽映画のセオリーも巧みに踏襲している。つまり、世代や性別や信仰といった属性がバラバラな人々が、それぞれに得意技を発揮し、力を合わせて脅威に立ち向かうという定番のシチュエーションだ。『プリースト 悪魔を葬る者』『サバハ』ではバディムービーの魅力を作品に取り込んだ監督だったが、本作はその発展形と言えよう。 物語の発端は、アメリカに暮らす韓国人富豪一家の、ある奇妙な依頼。人里離れた山中に建てられた先祖の墓を、別の土地に移す破墓(パミョ)という儀式をおこなったところ、想像を絶する強大な呪いが地上に出現してしまう。報酬目当てにその儀式に携わったばっかりに呪いに巻き込まれてしまった主人公たちは、それぞれに「その道のプロ」としての知識と技を駆使し、命がけで怪異を封印しようとするのだが…。 謎に満ちたストーリーはある段階で予想外の方向に大きく舵を切り、日本人観客にとっても衝撃的な展開に雪崩れ込んでいく。実はプロットのアイデアは脚本作『時間回廊の殺人』(17)に萌芽が垣間見られるのだが、今回の『破墓/パミョ』ではビジュアル的にも怖さにおいても、格段に強度と深みを増している。 もちろん、これまでの監督作でも発揮された徹底的リサーチと、飽くなき知識欲、それらを1本の映画のストーリーに落とし込むシナリオ作家としての辣腕ぶりも健在だ。舞台は冒頭からアメリカと韓国を行き来し、時空も国境も超えてスケールアップしていく。CGを極力使わない超自然的怪異の映像表現、スリリングな活劇性を帯びた恐怖演出もよりパワフルに研ぎ澄まされ、韓国映画におけるホラージャンルを一気にレベルアップさせようとする意欲すら感じる。おそらく、ナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』(16)に対する猛烈な対抗心もあったのではないか? 史実とフィクションが荒唐無稽なまでのレベルで混濁する後半は「抗日的」とも評されたが、むしろ荒俣宏『帝都物語』や夢枕獏『陰陽師』といった作品で「和製オカルト・スペクタクル」の魅力をさんざん享受してきた我々にとっては、自然に受け入れられる要素ではないだろうか(ちなみに監督は岡野玲子の漫画版『陰陽師』の大ファンだそうだ)。声優・小山力也による迫力満点の力演も、世界に誇れる仕事として日本の観客にこそ堪能してほしい。 クライマックスに展開する壮絶な退魔シーンは、中島哲也監督の『来る』(18)終盤のような禍々しさとスケール感、さらに『ジョーズ』(75)、『ゴーストバスターズ』(84)から『ツイスターズ』(24)に至る「チームもの」のワクワクするような醍醐味を存分に味わわせてくれる。そして、チャン・ジェヒョン作品のトレードマークと言える根幹的テーマ……特定の宗教や信仰、もしくは出自や国籍にかかわらず、人類の前に等しく現れる「条理を超えた恐怖」とは何か、我々はそれらに立ち向かうことができるのかという命題を、『破墓/パミョ』は最もヒロイックに、感動的に描いている。決して絶望や敗北だけを描かないその信念も、多くの観客を魅了する作家性と言えよう。 文/岡本敦史