小説が成立した瞬間を彷彿 読み解き方を示唆する小説読解のアンチョコ(レビュー)
小説読解のアンチョコ。 それは死語か。『小説の諸相』(中野康司訳)は、イギリス作家E・M・フォースターが一九二七年に発表した、小説論の歴史的名著である。 フォースターは小説を内容と直接関係のない外形、たとえば歴史的区分で判断することを戒め、作品自体と向き合って読み解くように命じる。抽出された要素のうち、基層に置かれるのがストーリーだ。時間軸に沿って物語が展開していくことが小説の基本だとまず認めてしまうのである。 小説の登場人物と現実の人間がどう違うかという考察を挟みフォースターはプロット、つまり小説内の出来事がどのような論理で構成されているかを分析し始める。ここが論の核だ。 フォースターは、作家が自作に向き合うときの戦略を推測すると同時に、彼らの意図と成立した作品の間に存在する乖離を容赦なく指摘しもする。ゆえに本書を読んでいると、小説が成立する瞬間を目の当たりにするような感覚があるのだ。部品のように分解された小説の各要素は扱いやすく、それを使えば小説を読み解くことができるのではないか、と思えてくる。私も判断に迷ったときには『小説の諸相』に戻ることがある。
たとえばJ・D・サリンジャーを読むとき。『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』(金原瑞人訳、新潮文庫)は、米国本国では単行本未収録の作品群を収めた短篇集だ。収録作のうち「ハプワース16、1924年」は、死まで続く長い沈黙の前に発表した最後の作品だ。非常に難解なのだが、フォースターの言う予言的要素、個人を超えて全人類的に広がる世界観を示そうとして作家は書いたのではないかと考えると、攻略の糸口も見えてくる気がする。
もう一冊、『桃源亭へようこそ 中国料理店店主・陶展文の事件簿』(徳間文庫)は陳舜臣生誕百周年記念で刊行された文庫だ。推理小説としての趣向とは別に、初めは平面的だった陶展文という主人公が立体的なキャラクターになっていく過程を描いた連作としても読める。この読解法も『小説の諸相』から学んだ技法なのだ。 [レビュアー]杉江松恋(書評家) 1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016年には落語協会真打にインタビューした『桃月庵白酒と落語十三夜』を上梓。近刊にエッセイ『ある日うっかりPTA』がある。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
新潮社