元プロ野球選手・マック鈴木、メジャー時代の秘話激白「マウンドに立つと“ヤジとブーイングの嵐”だった」
元プロ野球選手・マック鈴木が“しくじり先生”として人生の教訓を伝授する『しくじり先生 俺みたいになるな!!』後編が11月1日(金)21時30分よりABEMAにて配信された。 【写真】自身の“しくじり”エピソードを語るマック鈴木、ほか【4点】 前編では、ヤンチャでしくじり日本から追放され、アメリカでどん底生活に耐えながらもチャンスを掴み取るまでを赤裸々に語ったマック鈴木。1日配信の後編では、選手として歩み出したマックを待ち受けていた苦悩や日本でプロ野球を経験していないが故に犯してしまったしくじりについて授業を行った。 渡米1年目でメジャー傘下の1Aチーム、サンバラディーノ・スピリッツへ入団し、球団職員からマイナーリーグの選手として本格的に野球生活をスタートさせたマックだが、いざマウンドに立つと「ヤジとブーイングの嵐」だったと明かし、「アジア人選手がほとんどいない時代」「日本人の野球選手なんてアメリカで通用するわけないと思われていた」と振り返った。 そんな中、生徒役で出演した茨城ゴールデンゴールズの監督でタレントの片岡安祐美が自身の体験を明かす場面も。 24歳の若さで監督に就任した片岡は「『何も知らない小娘が!』とか。対戦相手の監督やスタッフから『お前みたいなヤツが監督やってるから!』とかと言われことはありました」と告白。片岡の体験に教室では「まだそんなヤツいる?」と驚きの声が上がった。 マイナーリーグで成績を残した結果、シアトル・マリナーズと契約を結んだマック。渡米3年目の1994年、春季キャンプに向かったマックのもとには日本からのマスコミ100人が集結していたが、周囲の期待とは裏腹にキャンプ初日に肩を痛め、開幕メジャーは叶わずという結果に。 さらに肩の痛みを隠して投げ続けた結果球速がどんどん下がり、球団の評価もだだ下がり、1年間活躍できないまま渡米4年目となる1995年には「内視鏡手術を受け、シーズンの前半を棒に振る」というしくじり状態だったと打ち明けた。このとき受けた内視鏡手術について、マックは「英語もわからなかったし、説明されたことも意味がわからなかったので、今でも何の手術をしたのかわからない」と明かし、「手術で『お任せです』みたいなことある?」と生徒たちを驚愕させた。 どん底状態のマックを尻目にメジャー界では「空前の野茂英雄フィーバー」に。さまざまな苦難が重なりながらも逆境の中でメジャーに挑んだ野茂の活躍に、マックは「いちメジャーリーガーが活躍しただけでなく、ストライキが明けた後の開幕だった。『野球なんか見ない!』というお客さんがまたメジャーリーグを見てくれた。火をつけてくれたのが野茂英雄さん」と野茂の偉業を称えた。 また当時“野茂英雄フィーバー”をどのように見ていたのかという質問に、マックは「観念してた」「あれだけ活躍される方を目の当たりにすると、野茂英雄さんってやっぱすごいな、と。ジェラシーもあったけど、(レベルが)全然違う」と語った。 そのほか、授業内では「これ余談なんですけど…」と明かした日本とも馴染みの深い外国人選手との邂逅や、野茂のメジャーへの道を繋ぐきっかけにマックが関わっていたという知られざる秘話も。周囲とのレベルの差を痛感しながらも、日本プロ野球を経ずにメジャーで勝利を挙げた“史上初の選手”として、歴史を刻んだマック。常に新たな道を切り開いてきたマックが世界を目指す若者に伝えたい教訓に注目だ。
ENTAME next編集部