「魚を食べただけなのに…」約70年たっても救済されない被害者 『原告全員』を水俣病と認めるか 2例目の判決は22日【水俣病国賠訴訟】
多くの人たちの人生を奪った公害「水俣病」。 今もその被害を訴え、救済を求める人たちが全国で裁判を続けています。 ■【動画で見る】「魚を食べただけなのに…」約70年たっても救済されない被害者 『原告全員』を水俣病と認めるか 2例目の判決は22日 水俣病国賠訴訟〈カンテレNEWS〉 【水俣病の患者】「人生返して。やり直したい」「人として認めてほしい」 3月22日、熊本地裁で迎える2例目の判決。長い間苦しめられてきた被害者たちの訴えに、司法はどんな判断を下すのでしょうか。
■「魚を食べただけ」…汚染された魚介類が原因
大阪府島本町に住む前田芳枝さん(75歳)は、今も手が震える水俣病の症状に苦しんでいます。 【前田芳枝さん(75歳)】「しんどい…。ごめんなさい、こんな字しか書けないんですよ」 震える手で自身の名前を書いて見せてくれましたが、その字にも震えが表れています。 【前田芳枝さん(75歳)】「10代からこうやってぶるぶる震えておりましたので、人生返してよと。私が何したんですか。魚を食べただけなんですよ」 1956年に初めて公式に確認された水俣病。患者の多くは熊本県と鹿児島県に囲まれた不知火海(しらぬいかい)周辺に住んでいました。
熊本県水俣市にある化学メーカー・チッソが排出したメチル水銀によって、魚介類が汚染されたことで発生しました。 手足がしびれたり、転びやすくなったりするのが特徴で、死亡した人も少なくありませんでした。 それでも水俣病の被害者の救済は、当初厳しい条件があったことから、なかなか進まなかったのです。 そしておよそ半世紀、被害者たちが裁判を起こして勝訴した結果、2010年に国は「水俣病特別措置法」によって救済の条件を緩め、一時金や医療費の支払いを始めました。 しかし、救済のための申請は2012年7月で締め切られ、その2年後に水俣病と診断された前田芳枝さんは、申請することすらできませんでした。 さらに救済される地域が原則として限られていたため、前田さんが住んでいたエリアは対象外となっていました。 【前田芳枝さん(75歳)】「(居住地域による救済の制限は)海に線を引くとか地域に線引くとか、何のためにそういうことするの?って、切り捨てたいの?って。私たちの体を見て、理解できないんですかって」