能登半島地震、被災地で見た「地域の足」の現状 各社が連携して運行、「現地への関心」が復興のカギになる
この区間はほとんどが七尾市と穴水町に属している。ここからも、被害が大きかったのは輪島市と珠洲市だけではないことが裏付けられる。 前述の自動車専用道路は、至る所で盛土が崩れ、応急処置として細く曲がりくねった道を通しているという状況で、通常は約2時間で行ける金沢―輪島間が、一般道とほぼ同じ約3時間もかかった。7月には途中の橋を除いて対面通行に戻るという発表が信じられないほどの状況だった。 ■倒れたビルが横たわる輪島市内
のと里山海道が能登有料道路として開通したのは1982年(その後無料化)と、比較的新しい。しかし2007年の能登半島地震でも、今回と同じ区間で数カ所の路面崩落などが起きている。一方で輪島からの帰路に使った一般道路は、比較的平坦な場所を選んで走っているためか、被害は軽微だった。 地震の多いこの地域の道路として、盛土を多用して山間部に道路を通すことが理想的なのか、考えさせられた。 輪島市の惨状はニュースで多くの人が見ているとおりで、朝市が行われていた付近は一面が焼失したまま。交差点には倒れたビルが横たわっていた。ただし道路には新たに車線が引き直されるなど、臨機応変な対策も確認できた。
今回取材した2社では、輪島市内にある北鉄奥能登バス本社が、「揺れで車両がぶつかったり、道路の損傷により一時入出庫が不可能となったりしており、整備工場は解体が決定した」とのことだった。 北國銀行の話では、七尾市以北の6市町の事業者の再建はこれからとのこと。また北陸鉄道では、大型連休を利用して解体前の実家を見に戻ってくる人もいるという話が出てきた。さらに言えば、金沢から輪島に通じる道路は、今も通行止めの箇所があり、現時点で大型車が通れそうな道は1本しかない。
年始という発災時期や細く長い能登半島という地勢を考えると、阪神・淡路や東日本と直接比較するのではなく、この地震ならではの事情を汲んだうえで対応すべきではないかと、現地で教えられた。 ■人員配置にも影響が出ている ここまで物的な被害を紹介してきたが、北國銀行、北陸鉄道ともに、最初に話していたのは人的な被害だった。 双方ともに死者や重傷者は出なかったものの、2次避難によって職場を離れざるを得なかった人、避難所から業務に向かう人など、さまざまな苦労があることが理解できた。