創建1200年記念 特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」(東博)開幕レポート。空海の伝えた密教が生んだ寺宝が一堂に
空海の真言密教始まりの地であり、数々の寺宝が伝わる京都・神護寺(じんごじ)。その貴重な文化財を紹介する創建1200年記念 特別展「神護寺」が東京国立博物館 で開幕した。会期は9月8日まで。 京都市の北西部、高雄に所在する神護寺は、紅葉の名所として古くから知られてきた。天長元年(824)、神護寺は高雄山寺と神願寺というふたつの寺院がひとつになり生まれたが、とくに高雄山寺は唐から帰国した空海が活動の拠点としたこともあり、空海ゆかりの数多くの寺宝が神護寺にも引き継がれている。本展は、こうした寺宝を序章を含めた全6章にわたって紹介し、その魅力に迫るものだ。 序章で展示されているのは狩野秀頼筆の《観楓図屛風》(室町~安土桃山時代、16世紀)だ。色づいた清滝川の川岸のカエデを見る人々の姿が、紅葉の名所として親しまれてきた神護寺の歴史を伝えている。 第1章「神護寺と高雄曼荼羅」では、神護寺と空海のゆかりをいまに伝える寺宝を中心に紹介する。 本章の白眉となるのは、唐から体系的な密教を持ち帰り、それを広く人々に伝えようとした空海の残した国宝のマンダラ《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》(平安時代、9世紀)だ。マンダラとは、古代インド語で「本質を得る」の意味を持つ「マンダラ」を音写したもの。仏や菩薩などの仏像を体系的に配置して描き、密教独自の宇宙世界を表している。《両界曼荼羅》(平安時代、9世紀)は、「胎蔵界曼荼羅」と「金剛界曼荼羅」という、胎蔵界・金剛界の両界を描いた二幅によって構成されたもので、本展では会期中に展示替えをしながら各幅が展示される。 空海が持ち帰ったものを手本に制作された本マンダラは、現存最古の両界曼荼羅となる。紫の綾に金泥と銀泥を用いて数多くの仏が描かれ、縦6メートル、横5メートルにおよぶその大きさからは、そのままこれを掛けることができた神護寺という寺の威容を知ることができる。 ほかにも空海の帰国と同時期に持ち帰られたとされる密教の宝具や、空海直筆の暦名、空海の姿を表した図といった密教を伝えた寺宝のほか、日本史の教科書で多くの人が目にしたであろう《伝源頼朝像》(鎌倉時代、13世紀)なども展示されている。 第2章「神護寺経と釈迦如来像──平安貴族の祈りと美意識」では、鳥羽天皇が発案したとされ、後白河法皇によって奉納された神護寺経などを展示することで、貴族の祈りの文化を紹介。第3章「神護寺の隆盛」では、神護寺に伝わる文書や荘園図などが展示されている。加えて第4章「古典として神護寺宝物」では、江戸時代以降も模本など密教を学ぼうとした人々が残した文物が並ぶ。 そして、第5章「神護寺の彫刻」では、神護寺に伝わる彫刻が一堂に紹介されている。本尊、《薬師如来立像》(平安時代、8~9世紀)は合併して神護寺となる前につくられたとされる。威厳に満ちた表情や重厚な布ひだの表現などから、日本彫刻史上の最高傑作と言われる本像と、かつての空海と同じように対峙してみてほしい。さらに《薬師如来立像》の両隣には《日光菩薩立像》《月光菩薩立像》(平安時代、9世紀)が配置され、その細身の身体のしなやかな造形を楽しむことができる。 さらに神護寺でつくられたなかで、現在残っている最古の密教仏像とされる《五大虚空蔵菩薩坐像》(平安時代、9世紀)も展示。切れ長の目やふくよかな唇などが醸し出す、柔和な表情に祈りの姿を見てほしい。 連綿と伝えられてきた密教の教えによって生まれた、神護寺の寺宝の数々を東京で見ることができる貴重な機会。ぜひ、会場で空海の思想を学びながら楽しんでみてほしい。
文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)