奈良末期は竹神社周辺に 三重・斎宮歴博の大川主査が斎宮の話
松阪郷土文化会が総会
松阪郷土文化会(吉田悦之会長、86人)は24日午後1時半から三重県松阪市殿町の松阪第一公民館で本年度総会を開き、斎宮歴史博物館調査研究課の大川勝宏主査(61)を講師に招き、「奈良時代の斎宮と伊勢神宮寺~神仏の融合と分離にみる古代史~」をテーマに講演会を行った。 同会は1900(明治33)年に創立した郷土の歴史や文化を勉強する「県史談会」が母体。61年(昭和36)年に学者や研究者などの専門家の会から、歴史好きの人なら誰でも入会でき、互いに情報交換しながら勉強する会として名称を変更した。隠れた郷土の歴史の掘り起こし、郷土の文化について調査研究と伝承活動、年5回程度の勉強会、会報誌の発行などを行っている。 この日、総会には約40人の会員が参加した。昨年度の事業報告などの後に開かれた講演会では、奈良時代の斎宮などについて話した。 大川さんは、斎宮は奈良時代末期に、現在の竹神社周辺を中心とした位置へ東へ1キロ移転したと考えられており、その理由として神宮や斎宮と仏教との関わりが大きな原因ではないかなどと推測。 文献から平安時代には斎宮と神宮は仏教をタブー視していたと思われるが、斎宮跡の発掘調査では仏教寺院に関連する200点以上の瓦片が出土していることから実際は仏教が斎宮でも浸透していた可能性があることなどを話した。 会員の藤田美代子さん(83)=山室町=は「聞いていると興味が湧いてきました。もっとこの時代のことを勉強しようと思います」と話した。