馬場と猪木が認めた名レフェリー・和田京平がデビュー50周年を迎え元気に大活躍
【柴田惣一のプロレス現在過去未来】
「世界一」和田京平レフェリーが古希(70歳)の誕生日(11月20日)を前に、デビュー50周年記念試合(全日本プロレス・7月20日、東京・後楽園ホール)に臨んだ。 【動画】】満員御礼!大熱闘で揺れる聖地!!全日本プロレス7月20日、東京・後楽園ホール大会ダイジェスト 同じく王道の生き字引・渕正信が斉藤ジュン、レイを率いたトリオと諏訪魔、田村男児、大森隆男組の6人タッグマッチを、いつも通りの軽快な動きと硬軟織り交ぜた絶妙なサジ加減のレフェリングで裁いた。加えてこの日はメインイベントの三冠戦(安齊勇馬VS本田竜輝)も担当するなど、まだまだ現役バリバリぶりを披露した。 リングの運搬、設営などをこなすリング屋さんのバイトとして馬場・全日本に加わり、74年からレフェリーに抜擢された。 全日本入りする前は、実はかなりのヤンチャだった。「馬場さんにお世話にならなかったら、裏の世界にいっていた。この年になるまで生きていられなかったかも知れない」と振り返る。 馬場はもちろん、ジョー樋口らから教わったレフェリング技術は本物。レスラー、ファンはもちろん、リングサイドに陣取るカメラマンの位置も把握したポジション取りは、まさに名人芸。馬場に「日本一いや世界一だ」と褒められたというのも納得である。 ライバル団体・新日本プロレスを率いていたアントニオ猪木も、関係者にコッソリ「京平のレフェリングは素晴らしい」と絶賛していたほどだ。 厳格でありながらも、レスラーの個性を生かすコミカルな立ち振る舞い、時にはアクロバティックなアクションで会場を沸かせてきた。リングアナの名前コールの後「きょーへー!」の掛け声が会場中に巻き起こるのも定番。レスラーより声援が多いこともある。 90年代に一世を風靡した四天王プロレス(三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明)でも大きな役割を果たした。「京平ちゃんがいたから成立した」と4人は口を揃えていた。 馬場・全日本の「王道」を支えた一人といえるが、カーマニアでも知られている。リング屋さんとして運搬トラックのドライバーも務めていたこともあり、ドライブが大好き。プライベートでも移動は車。ピッカピカに磨き上げた愛車のハンドルを握る姿が決まっている。 馬場夫妻の運転手だった。ハワイでは自ら運転することを好んだ馬場だが、日本ではなかなかそうもいかない。馬場の大きな愛車・キャデラックのハンドルさばきもお手のものだった。 オフも馬場夫妻と過ごす時間が多かった。「京平くん、お願いね」と元子さんからの電話に馳せ参じていた。仲田龍リングアナウンサーと「助さん、格さん」として馬場夫妻をサポートしていた。 仲田アナは三沢らとともにノアを立ち上げたが、全日本に残った京平は元子夫人の傍に最後まで寄り添った。「馬場記念館ができたら、館長やりたいな。というか俺が一番の適任だよ」と笑う。自他ともに認める「馬場夫妻を愛した男」である。 「王道の語り部」としてはもちろん、レフェリー教室の開講も期待されている。レジェンド・レフェリー和田京平。いつまでもお元気でご活躍ください。(文中敬称略)
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