「いま苦しんでいる家族 ひと組でもふた組でも参加して」 病気や障がいがある子供たちが笑顔に、親も心の内をさらけだせる場所がある 「がんばれ共和国」30年の軌跡
難病や障害のある子供たちとその家族が参加するキャンプ「がんばれ共和国」が30周年を迎えました。孤立しがちな家族や子供たちが思いきり楽しめる場所として多くの家族の居場所や支えになってきました。子供を亡くしたあとも参加する家族もいます。30年の軌跡をたどると、精一杯生きる命の輝きがみえてきます。 【写真で見る】開国30周年を記念するイベントが福岡市で開催~『がんばれ共和国』が安心できる場所であってほしい~
1994年に始まったキャンプ
難病や障害を抱える子供たちやその家族が参加するキャンプ「がんばれ共和国」。去年、30周年を迎えました。3月24日、開国30周年を記念するイベントが福岡市で開催され、これまでの思い出が詰まった映像が上映されました。 がんばれ共和国が初めて開催されたのは、1994年。佐賀県富士町の北山少年自然の家で行われ、スタッフなども含め150人が参加しました。日頃は、なかなか外出することができない子供たちも、たくさんの人と関わったり、大自然の中で思い切り遊んだりしてとても楽しそうな様子でした。
誰にも言えない親の悩み打ち明けられる場所
「がんばれ共和国」は、保護者同士の交流や意見交換をする大切な場でもあります。障害を抱えた子を持つ親同士、話せない悩みなどを打ち明けてきました。 参加した保護者 「うちはみんなと反対に辛い思いまでして、普通小学校で行くのだったら、養護学校を考えているんですね」 参加した保護者 「親になって初めて分かったことで、子供を持っていろいろな出会いもさせてもらったし、本当、子供のおかげですよね。負けないで頑張ってください」
息子がいなくなっても参加し続けた
開催当初から30年間、キャンプ長を務めてきた高見俊雄さんです。初回から、息子の俊輝くんとキャンプに参加していました。年に1回のキャンプを楽しみにしていた俊輝くんは2001年、8回目の開催を前に18歳で亡くなりました。俊輝くんがいない夏も、高見さんは妻の友子さんと一緒に参加者のサポート役としてキャンプに参加しました。 高見俊雄さん(当時) 「本当に日にちが近づいてくれば近づいてくるほど、きついなという感じだったんですけど、もう入ってしまったら徒労だったですね。けろっと忘れて昔のちゃんと「がんばれ」にもう夢中になりましたね。やっぱりボランティアさんみんなキャンパーの家族とお母さんたちと会ったら、もう全部吹き飛んじゃいましたね。 高見友子さん(当時) 車椅子の子供たちが入ってきたらさすがにちょっと辛かったですけど、でも言わなくても私たちの気持ちは皆さん分かってくださってるなという感じがすごく伝わって、思ったよりは辛くなかった。逆にすごく励まされて元気になれてような気がします。 2013年、20周年を迎えたこの年、会場の一角には、がんばれ共和国に参加し、その後亡くなった8人の子供たちの写真が飾られていました。子供を亡くした親の中には、高見さんのようにがんばれ共和国に参加し続ける人も少なくありません。 息子の将大くんを亡くした長野喜代美さん(当時) 「ここに戻ってくると将大も一緒に参加しているような気分になって。家族みんなでいつもここに来るのが家族旅行だと思えるんですね」