石橋をたたいても渡らない…コロナ禍で“保身”に走った「公務員」のリアル【同志社大学教授が解説】
新型コロナウイルスが国内で一気に広がった2020年に、多くのイベントや行事が中止となったことは記憶に新しいでしょう。なかでも行政や地域の各種団体が主催の公的イベントは過剰なまでに中止になりました。これにはどのような背景があるのでしょうか。本記事では、同志社大学政策学部・同大学院総合政策科学研究科教授の太田肇氏による著書『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP研究所)から、日本の公務員について解説します。 都道府県「公務員の平均給与」ランキング
「個人への責任追及」が萎縮を招く
コロナ禍で公的イベントの中止や施設の閉鎖、面会制限が過剰なまでに行われた背景に、関係者の損得勘定が働いていることは否定しがたい。 要するに公務員や公的団体の職員、地域団体の役員にとって、イベントを開催したり、面会を認めたりする「前向きな行動」をとることのインセンティブ(誘因)がほとんどない一方、負のインセンティブが多いのである。 訴訟リスクが高い案件では、負のインセンティブはいっそう大きくなる。周知のとおり、日本では新型コロナウイルスに対するワクチンや治療薬の承認が、欧米などに大きく後れをとった。その原因として指摘されているのが、厚生労働省の慎重姿勢である。 「保身を優先する」という共通点 かつて子宮頸がんやおたふく風邪などのワクチンが、接種後の副反応で健康被害をもたらし、それがマスコミで大きく取りあげられた。1989年に起きた薬害エイズ事件では、当時の厚生省生物製剤課長が96年に業務上過失致死容疑で逮捕・起訴され、有罪判決を受けた。 国の責任を問う民事訴訟だけでなく、職員が刑事責任を問われるような事件が発生すると、組織も職員も敏感に反応し、「石橋をたたいても渡らない」ようなケースが出てくる。 新型コロナウイルスのワクチンや治療薬についても、それが一種のトラウマになり、客観的にみて承認のメリットがデメリットを明らかに上回るとわかっていても、関係者は及び腰になる。 責任追及を恐れて萎縮するのは、現場の医師も同じだ。かつて、ある公立病院の院長が私に、「患者のために手術したほうがよいとわかっていても、万が一のことを考えて思いとどまることがある」と告白した。 プロフェッショナルとしての使命感や良心と、保身との間で葛藤を経験する医師は多いに違いない。 医療の分野だけではない。政府が保有するデータを公表するサイトが一部、開店休業状態になっており、日本経済新聞社の調べでは2022年2月末時点で全体の二割強にアクセスできないデータが含まれているという。 原因の一つとして、「データの不備や間違いがあった場合に批判されるのを恐れて萎縮している」ことを指摘する声があり、「データを公開してもメリットはない」と公開に後ろ向きな姿勢の職員もいる※1。 作為と不作為のどちらで責任を追及されるかはケースによって異なるが、公益的視点からの判断より保身を優先しなければならない点は一貫しているといえよう。 ※1:2022年3月20日付「日本経済新聞」〈チャートは語る〉