なぜ「おねだり知事」は自分が正しいと思えるのか…斎藤元彦氏がインタビューで乱発している"無責任な口癖"
9月30日、県議会での不信任決議案を受けた兵庫県知事の斎藤元彦氏が失職した。ノンフィクションライターの石戸諭さんは「斎藤氏の問題は、公益通報に対して調査結果が出る前から『うそ八百』だと断定し、“犯人捜し”を行った点にある。メディアの追及に対しても『だが』『しかし』という言葉を使い、責任から逃れ続けていた」という――。 【写真】堂々とした表情で街頭演説をする斎藤前知事。 ■「職を辞すべきほどのことか」という本音 「だが」「しかし」のあとにこそ、取材対象の赤裸々な本音が宿る。特に自身の不祥事については――。 私もニュースの現場で様々な不祥事対応を取材してきたが、失職から知事選再出馬を決めた兵庫県の斎藤元彦知事もまたこの事例に当てはまる。私もスタジオにいたタイミングで、朝日放送の夕方のニュース番組「newsおかえり」に斎藤知事が出演し、横山太一アナウンサーとのインタビューにも応じていたのだが、ここでも目立ったのは逆接だった。 斎藤氏が繰り返していたことを一言でまとめれば「自分にも至らない点があったことは認める。だが、法的な責任が問われるようなことはしていない。したがって職を続けたい」ということに尽きる。9月26日午後3時から始まった記者会見でも、一応の反省を見せた後に、「職を辞すべきほどのことか」という発言に本音が見て取れる。 斎藤知事の問題はある意味ではわかりやすいので、とかく「おねだり」や「パワハラ」事案にスライドしてメディア上で湧き上がって終わってしまう。あんなおねだりがあった可能性が、こんなパワハラがあったという証言が……と問題を広げていった結果、何が大切な問題なのかがわからないままメディア上で盛り上がっていく。大切なのは、重要な問題とはなにかを問うことだ。
■公益通報を「うそ八百」だと断定 重要な問題は2点だ。第一に元西播磨県民局長(7月に死去)が出した文書の扱い方、そして「感情」への向き合い方だ。 ことの発端は元局長が斎藤氏や側近について、7つの疑惑を指摘した文書を県議やマスコミに配布したことだった。ところが、知事側は告発の疑惑に関する調査も済んでいない段階から、文書の内容を「うそ八百」だと断定して、匿名の文書を作った人物を特定し、処分に向けて動き始めた。これは露骨な内部通報者潰しだ。 冒頭の番組で横山アナも鋭くなぜ第三者による調査結果や百条委員会で結論が出るまで元局長への処分を待てなかったのか、なぜ処分を急がなければいけなかったのかについて繰り返し問うていたが、斎藤知事は元局長の処分は公益通報をしたこととは関係なく、就業中の私的文書作成やPC使用など県人事のルールに基づいたものであると強調した。誹謗中傷性の高いという判断も自らの行いは自分が対象だからわかるのだという論調で乗り切ろうとした。 公益通報の扱いは「あとからみればいろんな選択肢はあったことは認める、だけど当時の対応は最善である」と従来の主張を繰り返しただけだった。 ■「知事は反社の利権と戦っていた」という誤情報が拡散 公益通報者保護法では報道機関への告発もまた「外部通報」として保護される対象になりうることは専門家の間でも指摘されてきたことだ。今回の内部文書もまた、「うそ八百」どころかいくつかの内容に関しては公益通報の可能性が十分にあり、側近の副知事が内部通報者調査の違法性も指摘されてきた。 斎藤氏は根幹部分に誹謗中傷性の高い内容があったことを根拠にして内部通報には当たらない理由に挙げていたが、「あとからみればいろんな選択肢はあった」のならば、内部通報の可能性にあたるものとして扱わなかった点に反省の弁は必要だ。少なくとも外部の有識者による第三者委員会を早々に立ち上げて、検証を求める必要はあっただろう。 興味深いのは、インターネット上を中心に今回の一件をもって既得権を持つ職員たちの反発であり、斎藤県政が進めた県庁舎の建て替え問題、あるいはOBの天下りの制約がその引き金になった。あるいは告発した側も問題を抱えていてという話が広がったことだ。「実は反社会的勢力が持っていた利権を引き剥がそうとしたから落とされたのだ」という話も広がった。すぐに検証が始まり、さすがに根拠が薄い話としてそれ以上の広がりは見せなかったが、Xを観察する限り、かなりの人々がシェアしていたのには驚いた。