なぜ今ベーシックインカムなのか 第4回:「家」に縛られる女性たち 同志社大学・山森亮教授
本連載の初回記事で、7月1日の改正生活保護法施行に触れた2つの新聞記事に言及した。どちらの記事も本文で、扶養義務のある親族への働きかけの強化についても触れている。 【図表】なぜ今ベーシックインカムなのか 第3回:財源はあるのか その改正法施行にさかのぼること数日前、筆者はカナダのモントリ―ルで開かれていた「ベーシックインカム世界ネットワーク」の大会に参加していた。ベーシックインカム世界ネットワークは、前々回、前回の記事で触れたスタンディングさんたちによって1986年に「欧州ネットワーク」として創立され、10年前に世界ネットワークに改変された。筆者も現在理事を務めている。その大会で日本からの参加者が生活保護法の改正について報告をしたのだが、扶養義務の問題について、出席者から驚きの声が挙がった。というのもカナダやイギリス、フランスなど多くのいわゆる「先進国」では、生活保護的な仕組みにおいて、本人の収入を調査するのは当たり前であっても、親族の収入が問題とされることはまずないからである。 これは例えば集団主義的な東アジアと個人主義的な欧米との「文化」の違いによるものだろうか。そういう部分もあるかも知れない。しかし同時に欧米のいくつかの国における「個人主義」的な福祉制度は、福祉を受給する女性たちが勇気を振り絞って上げ続けた声と、そうした声に向き合いながらより良い制度をめざす行政側の苦い経験との積み重ねによって、築き上げられてきたという点は否めない。
■女性の生活保護への差別的な目線
洋の東西を問わず、行政の立場からすれば、家計を一にしている範囲はどこまでか、家計を別にしていても援助をうけていないか、厳格に調査を行うことが、生活保護(と同様の制度)を公平に運営する方法であると考えられてきた。ところが、例えば夫側の親族との間に問題を抱え、別居に至った女性が、生活保護を申請する場合を考えてもらいたい。生活保護を申請することによって、夫や夫側の親族に問い合わせがいくことの意味はなんだろうか。 とはいえ、現行制度のまま単に審査を緩くするだけでは、不公平感を持つ人がでてくるのは否めない。こうした中、1970年代にイギリスやアメリカ等で福祉を受給していた女性達のなかに、ベーシックインカムこそが解決策であると考えて行動した人たちがいた。前述の大会で、筆者はそうしたイギリスの女性達について報告した。そのうちの一人ジュリア・メインウォリングさんは、生活保護的な仕組みは性差別の固まりだと語る。生計を一にする範囲を把握するための調査が拡大解釈され、性的関係や交友関係を、夜間の訪問や郵便物のチェック等の方法で調べるということが横行していたという。 それから40年近い歳月が流れ、彼女たちの運動の成果もあり、さすがに現在のイギリスやカナダでは、ソーシャルワーカーが夜間に訪問しクローゼットの中に男性が隠れていないかをのぞいたりということはなくなった。とはいえ近年でも、例えばイギリスでは日本の厚生労働省にあたる官庁が、福祉受給者の女性の家から男性が朝出て行く映像を流し、不正受給を告発するホットラインを知らせる広告を流したり、日本では別れた夫が近くにいることを理由に申請受理に至らないといった事例があり、女性の生活保護(と同様の制度)受給をめぐる世間のまなざしに40年前とそれほど大きく変わっていない側面もある。