坂本龍馬の暗殺場所「近江屋」は“京都の中でも安全”とされていた いざという時の「逃げ道」用意も使えず迎えた“最期”
(三浦さん) 「そのすぐ斜め前になるんですが、『称名寺』という名前のお寺が描かれてます。寺の東側は空白地になってるんですけど、これが『町屋』を示していて、寺のすぐ東側に『近江屋』があったはずですので、土佐藩邸から言うと、斜め向かいに『近江屋』があった。そこが“龍馬の隠れ家”です」 (京面アナウンサー) 「そんな近いところにあったんですね」 (三浦さん) 「そうですね、非常に安全そうな良い場所にあったと言えます」 (京面アナウンサー) 「そんなところで龍馬が襲撃されてしまった?」 (三浦さん) 「そうですね。龍馬たちは裏の称名寺へ“いざとなったら逃げるルート”も確保していたようなんですが、そのルートを使うことなく暗殺されてしまった」 また、ロシアから交易を求められた幕末期には、「蝦夷地」の調査・開拓に向けて多くの地図が作られていて、ペリー来航の翌年、1854年に描かれたこちらの地図には、“未開の地”の港や航路が詳細に記されています。 このほか、大阪や長崎など、龍馬にゆかりのある街の地図もあり、企画展では龍馬の“足跡”をたどることができます。 (坂本龍馬記念館 三浦夏樹 学芸課長) 「江戸、大阪、京都、長崎、こういった都市の地図が、今回の“重要な資料”なので、『龍馬がここで活躍したんだな』、『ここでこの手紙を書いたんだな』というのを、ぜひ知っていただけたらと思っています」 企画展「絵図・地図の世界」は、県立坂本龍馬記念館で1月27日(月)まで開かれています。
テレビ高知