パリの象徴「エッフェル塔」設計者没後100年目の真実 “エッフェル”の名を受け継ぐ日本人女性
■抵抗勢力を“論破” 幾何学的な美しさで魅了
さらに、文化的な問題もあったという。当時のパリの芸術家たちがエッフェル塔計画に敵意をむき出しにしていたのだ。芸術家たちは塔を「黒く巨大な工場の煙突」「ボルト締め鉄製の醜い円柱」などと罵倒して計画に反対。当時は“美しい建材は石”であり、鉄は表に出すものではないと考えられていたからだ。 しかし、これに対するエッフェル氏の応答は見事だった。「建築の美とは、目的に合った設計」であるとして、風圧に耐えるために設計されたエッフェル塔の4本の柱のゆるやかな曲線こそ美しいと主張したのだ。実際、塔を構成する鉄の棒が織りなす十字模様には、風圧に耐える頑丈さと軽量さを両立させるという実用性があるだけでなく、幾何学的な美しさで見る者を魅了している。今ではエッフェル塔の美しさを疑う者はいない。エッフェル氏が、科学的な合理性の追求から生まれる美を主張し、芸術家たちを完全に「論破」したといえる。
■エッフェル塔におとずれた解体の危機
そんなエッフェル塔だが、実はパリ万博の終了後、訪問者が減り、20世紀に入ってから解体の危機にさらされたことがあった。しかしエッフェル氏は、塔を航空力学研究や無線電信の拠点とするように売り込み、それによって危機を乗り越えた。彼のビジネスマンとしての才覚が、今日の世界的ランドマークの地位を築いたのだ。
■「エッフェル」の名を受け継ぐ“日本人”子孫
エッフェル一族の中には、意外なことに、土木や建設業の道を選んだ子孫はいないと由紀子さんは明かしてくれた。高名な先祖と同じ道を歩むことは、険しすぎる選択なのかもしれない。 そんな中、由紀子さんの長男で、エッフェル氏の6代目の孫にあたるアリオン君は、照れながらも「将来、橋をつくってみたい」と流ちょうな日本語で偉大な先祖に挑戦する野心を見せてくれた。二男のアシル君と共に日本文化が大好きだという。日本とつながりの深い“エッフェル”の名を受け継ぐ子孫が、先祖の思いをつなぎ、日仏両国をまたいで活躍する日も近いかもしれない。