パリの象徴「エッフェル塔」設計者没後100年目の真実 “エッフェル”の名を受け継ぐ日本人女性
■エッフェル塔に“嫉妬”…「私より塔の方が有名だ」
エッフェル氏は“作品の知名度”に反して、自身についてはあまり知られていないのが現実だ。実は、このような事態を予想していたのは、誰よりもエッフェル氏自身だったという。彼は「私はエッフェル塔に嫉妬するだろう。私より塔の方が有名だ」という名言を残したと言われている。 実際、由紀子さんも日本の知人に「エッフェル塔って、エッフェルっていう人が造ったの!?」と驚かれ、知名度の低さを痛感したことがあるという。こうした経験からも、偉大な先人の功績を日本の人にも広く知らせたいという強い思いを抱いている。
2023年夏にはエッフェル塔の広場で記念展示「エッフェル――高さへの挑戦」が開催され、由紀子さんが展示デザインと美術監督を担当した。エッフェル氏の仕事を“高層建築の世界史”に位置づける初めての試みで、フランス人からも高い評価を得た。 パリ随一のシンボルとなっているエッフェル塔だが、現在のような不動の地位を得るまでには様々な困難があったという。由紀子さんは、それらを克服したエッフェル氏の「技師」として、さらには「商人」としての有能さに感服したと話す。
■「技師」として…困難を極めた土台の工事
建設において、特に苦労したのは、土台など下部の工事だったそうだ。塔の建設予定地がセーヌ河畔だったことは、水を含む地盤で行う基礎工事が困難なことを意味した。深さ約15メートルに及ぶ掘削作業を行うにあたって、エッフェル氏は鉄橋建設の経験を生かし「潜函(せんかん)工法」という当時の先端技術を採用。金属の“箱”を置き、その最下層に作業室を設け、圧縮した空気をそこに送り込んで水や泥の流入を防止しながら掘り進むことで、塔の基礎を築き上げた。
■「商人」として…勝負師・エッフェルの“ある強み”
さらに忘れてならないのは、エッフェル氏の商人としての「度胸」が建設に影響したことだという。実は当時、エッフェル塔には、ライバルとなるプロジェクトが存在した。著名な建築家が考案した石の「太陽の塔」だ。 しかし、エッフェル氏にはライバルにない強みがあった。それは“資金力”だ。鉄橋などの建設ですでに成功をおさめ、経済力があったエッフェル氏は、なんと建設費の大半について「自腹を切る」と約束したのだ。高層建築の歴史においては資金の問題でプロジェクトが失敗することがあったため、経済力はライバルをしのぐ上で大きな力になったという。 特に、高さ300メートルを超える塔はパリ万博の目玉であり、その開幕までに完成させることは至上命令だった。由紀子さんは「『お金がなくてやっぱりできませんでした』では済まされなかった」と笑う。 仮にエッフェル氏が実業家ではなく、潤沢な資金を融通できなければ、また前代未聞のプロジェクトに自身の財産をかけるというハートの強さがなければ、この世界一有名な塔は日の目を見なかったかもしれない。