「実は、物怖じするタイプでした」…平石直之が、”アベプラの猛獣使い”と呼ばれるようになるまで
アベプラのおかげで感覚が研ぎ澄まされてきた
「ABEMA Prime」は“みんなでしゃべるとニュースはおもしろい”をキャッチフレーズにしているだけあって、個性の強い出演者も多い。そんな番組の進行役として、平石さんが最も苦戦するのはどんな場面なのかと尋ねると、「“話さない人”がいる場面でしょうか」と少々意外な答えが返ってきた。 「話しに来ているコメンテーターとは違い、ゲストはテーマに応じて招いているので、必ずしもすらすら言いたいことが言えるとは限らない。あまり話さない人から話を引き出すのはなかなか大変ですが、そういうときこそ、ファシリテーターの出番です。たとえば、『こんなことを仰っていましたよね?』と、ある程度、話の先出しをして、続きを言ってもらう。その人が恥をかいたり、よくない見え方になったりしないように、寄り添うことが大事です」 ファシリテーションをする上で、平石さんが一貫して心がけているのは「人を傷つけないファシリ」というスタンス。それは、しゃべらない人に寄り添うときだけでなく、1人の話が長すぎて、介入せざるをえないようなときにも変わらない。 「介入するのは、やはり失礼です。本人は大事だと思っているから話しているわけですし、その人と同じ考えを持っている人もいるはずです。それでもなお、参加者や視聴者、みんなの時間を大事にするために、失礼を承知で介入する。途中で止められて不快な思いをした人に、番組が終わった後で、苦言を呈されることもあります。判断が難しい場面ではありますが、一番大事にしているのは、『人格を否定しない』ということですね。番組での司会や本の執筆を経て、そうした感覚が研ぎ澄まされてきたように思っています」 もうひとつ、難しいケースといえば、議論がヒートアップするあまり「番組の放送中に“本当に怒ってしまった人”」が出たときである。 「番組に出て意見と意見を戦わせるのは、その人の根幹に関わることです。自分の考えを否定されると、許せないこともあるでしょう。また、組織を代表して出演している場合は、背負っているものがある。そうすると、本当に感情が爆発してしまう場面も起こりうるんです。一線を超えると進行が不可能になってしまうので、危ない気配を感じたら、その手前で止める。人格攻撃にならないようにいったん引き取って、違う人に話を振ったり、話題を変えたりと対処しています」 中には、まったく意見が異なる組織の代表同士が出演して、放送中はハラハラしたものの、番組が終わったあと、連絡先を交換して帰っていったケースもあるという。 「そうして意見が異なる人同士をうまくつなげられたときには、意味のある放送ができたと嬉しく思います。本当に決裂してしまったら、何のために呼んだの? 焚きつけているの? と、当事者や視聴者から厳しい目にさらされます。議論の場を用意した以上は、番組に責任があると思っています」 平石さんの話を聞けば聞くほど、ファシリテーターに必要なものは、冷静な“観察眼”なのではないか、という気がしてくる。 「見ている人は、私が言いたいことを言っているように見えるかもしれませんが、場をうまく回すこと、深い議論を促すことに徹しているつもりです。私が発言するときは、その意見を投入することによって、やりとりを活性化させるなど、狙いをもって、あえて発言しています。 また、参加者が『このままでは自分の意見が世の中で封じこめられてしまう』と、勇気をもって話をされる場面もある。そうした言いにくい意見が世の中の理解を広げることにつながると思った場合は、私も寄り添って同調することもあります。『平石はそういう考えなのか!』とご批判をいただくこともありますが、周りを見てバランスを考え、話し合いに意味と深みが増すような展開にすることを常に心がけています」