《ひろみちお兄さん闘病記1》「酒もタバコもしないのに…」下半身麻痺で死を覚悟「支えた家族の言葉」
《下半身麻痺となり歩けなくなってしまいました。病名は「脊髄梗塞」です》──『おかあさんといっしょ』(NHK)で体操のお兄さんを務め、「ひろみちお兄さん」の愛称で親しまれた佐藤弘道さん(56才)が、聞き慣れない病名とともに衝撃的な病状を告白したのは6月13日のこと。あの日から約半年が経過した。「脊髄梗塞(せきずいこうそく)」の発症で味わった先の見えない不安。暗闇から抜け出した原動力。そして今後の目標まで、最愛家族とのエピソードも交えながら語り尽くした。【全3回の第1回】 【写真】脊髄梗塞を発症した佐藤弘道さん。しっかりと両脚で立つ全身姿など
「下半身がまったく動かせなくなったんです」
――今日は12月上旬ですが、佐藤さんが自ら運転してお越しいただきました。運転ができるまでに回復されたのですね。 佐藤:車の運転ができるようになったのは、10月くらいからです。病気などで体が不自由になった場合、公安委員会のテストを受けて“お墨付き”をもらわなければ運転をすることができません。まずお医者さんに「足が動く」という診断書を書いてもらい、それを公安委員会に持っていき、「ブレーキ!」と言われてすぐにブレーキを踏めるかどうかなどをシミュレーションの機械でテストするんです。そこで合格がもらえたので、運転を再開できました。 ――6月2日、仕事に向かう飛行機の中で脊髄梗塞を発症。その前から異変は感じていましたか。 佐藤:まったくありませんでした。僕は健康診断も毎年受けていましたし、お酒もそんなに飲めないし、タバコも吸いません。高脂血症(脂質異常症)の数値がちょっと高いことはありましたが、それも基準値の範囲内でした。仕事柄、日常的に運動もしていましたし、健康に関しては人一倍気をつけていたんです。 ただ強いて言えば、発症の2日前(5月30日)は背中がすごく痛かったんです。でもこれには思い当たる節があって、レギュラー出演していた青森放送の情報番組で、前日の29日に8本分をまとめ撮りしていたんです。それで筋肉痛になったのかなと思っていました。動けないほどの痛みではなかったので、31日は中京テレビ(愛知県)のレギュラー番組の生放送に出演して、6月1日は指導者実技研修会で高崎(群馬県)に行きました。普通に仕事を続けることができていたので、まさか動けなくなるなんて思ってもいませんでした。 ――脊髄梗塞の発症時のことについて教えてください。 佐藤:6月2日は鳥取県で指導者実技研修会があり、朝4時半に起床しました。その時点で左足がちょっとしびれていたんです。日曜日で病院も休みでしたし、そもそも仕事を休むほどではないと思っていました。しかし、鳥取県に向かう機内では、腰回りに激痛が走り下半身がまったく動かせなくなったんです。これまでの人生で、一番の痛みでした。 空港に着陸後、機内の通路に車いすが入らなかったので、両側の座席の手すりにつかまりながら、腕の力だけで通路を進みました。飛行機の中で平行棒をやっているような感じだった(笑い)。飛行機から降りたあとは、研修予定だった保育園の先生の車ですぐに病院に運んでもらいました。 ――病状が明らかになった時は、どんな気持ちでしたか。 佐藤:まず整形外科の先生にレントゲンを撮ってもらったのですが、「骨に異常はないので、腰の骨の病気ではありません」とのことでした。そこで脳神経外科でMRIの検査を受けたところ、脊髄のむくみと血管の詰まりが明らかになり、「脊髄梗塞の疑いがある」と言われたんです。「脊髄梗塞」という病名を聞いたのが初めてでしたので、正直、ピンときませんでした。 そのまま入院することになったのですが、スマホを使いネットで調べてみると、「治らない病気」「下半身麻痺」などと出てきて、目の前が真っ暗になりました。仕事もできないし、家族にも迷惑をかける……そう考えたときに、本気で死のうかと思ったほどです。