<私の恩人>キンコン西野を救ったタモリの一言
最初の店で、絵本作りに行き詰まっていると弱音を吐いてしまいました。すると、タモリさんが「そうだ、厚揚げのおいしい店があるから、そこに行こうか」とおっしゃったんです。次の店は、タモリさんのお知り合いがやってらっしゃる小さなお店でした。タモリさんが店主の方に伝えて、店のテレビに「カウント・ベイシー・オーケストラ」の映像を流したんです。 僕はまったく知らなかったんですけど、カウント・ベイシーという世界的なミュージシャンが率いるビッグバンドで、初めての僕でもすごさが分かるくらいでした。その映像を2時間くらい聴いてましたかね。そこでタモリさんがおっしゃったんです。 「マスターがベイシーが大好きで大好きで、店名も『ベイシー』と付けた店があるんだよ。東京からずっと離れた田舎の店なんだけど、オープンから20年経って、なんと、ベイシーがその店に来たんだ。自分の名前をつけてる店が日本にあるという話が回りまわって本人の耳にも入ったってことなんだよな」。 「へぇ~、そんな話もあるもんなんだ…」と思いかけて、ハッと気付きました。これを言うために、タモリさんはここの店に僕を連れてきたんだと。続けることは大変だけど、その先には何かがある。アホな僕が話の本質に気付いた瞬間に、タモリさんが店主さんに「厚揚げ、ちょうだい」とおっしゃいました。あくまでも、目的は厚揚げを食べに来たんだよという優しさをこめて。 翌日からまた描きはじめて、5年ほどかけて1冊目の絵本を出版しました。ゆっくりながら、今では3冊の絵本が出せました。物を作ること、ひいては生きていくことへの考えが25歳を境に変わりました。 タモリさんに絵を勧められてなかったら、いったい、今の自分はどうなっていたのか。考えただけでも、ゾッとします。恩返しなんておこがましいですけど、まずは自分が突き抜けた存在になること。そして、そこで初めて「あの時の言葉がなかったら、今の僕はありませんでした」とタモリさんにお礼を申し上げる資格が生まれるのかなと思います。 (聞き手/文責 中西正男) ■西野亮廣(にしの・あきひろ) 1980年7月3日生まれ。兵庫県川西市出身。本名・同じ。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に22期生として入り、99年に同期の梶原雄太と「キングコング」を結成。同期にあたるのは「南海キャンディーズ」山里亮太、「NON STYLE」ら。NSC在学中の2000年にNHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞。01年には史上最短となる結成2年3カ月のキャリアで「M-1グランプリ」で決勝進出を果たす。「キングコングのあるコトないコト」などに出演中。黒ペンだけで書き上げる絵本も出版するなどマルチな活動を見せる。脚本を務める舞台「ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック」は大阪(梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、9月13~15日)でも上演される。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年大阪府枚方市生まれ。立命館大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」に出演中。