<私の恩人>キンコン西野を救ったタモリの一言
お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣さん(33)。本業の漫才はもとより、絵本作家や脚本家としての顔も持ち合わせています。ニューヨークでイラストの個展も開催。脚本を務め、8月に東京で上演された舞台「ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック」は三谷幸喜さんからも絶賛されました。9月13日からは、いよいよ地元関西でも公演がスタートします。その多岐にわたる創作活動の原点となったのは、タモリさんからの一言だったと言います。 これまでの人生で、一番迷いの中にあったのが25歳の頃でした。僕は21歳で「はねるのトびら」(フジテレビ系)という深夜番組をやらせてもらいました。大阪から出てきて「よし、何としても、この番組をゴールデンにまで持っていくぞ!!」という目標を立てました。 結果、ありがたいことに4年半後にはゴールデンに昇格し、視聴率も20%ほど取れるようになったんです。確かに、番組は大きくなりました。でも、自分が考えていたものとは違ったんです。ものすごくありふれた言葉で言いますと、もっと売れる、スターみたいに(笑)なれると思ったんです。でも、まったくそうではなかった…。正直な話、相方にも話しましたが、この世界を辞めることも考えました。これだけの環境が整ったのに、突き抜けないわけですから。才能がないんだ。もうダメだと。 そんな中、当時レギュラーを務めていた「笑っていいとも!」(フジテレビ系)でお世話になっていたタモリさんから「飲みに行こうか」と誘われたんです。そこで、タモリさんが唐突に「西野、絵を描いたらどう?絵本を作るとか」と言ってくださったんです。当時は絵なんてまったく描いてなかったですし、それこそ「いいとも」の打ち合わせの時に、資料にちょっと落書きみたいなのをするくらい。 それを見てくださっていたのか、もっと深いところを感じ取ってくださっていたのかは分かりませんが、ふと、その言葉をいただいたんです。あとは2人ともヘベレケに酔っぱらって、アホな話ばっかりしてました(笑)。翌日から、絵を描きだしました。今までやってたわけでもないし、僕の絵は細い黒ペンだけで線を重ねて描くので、1枚描くのに1ヵ月とかかかるんです。 …しばらくすると、思わぬ効果がありました。それまでの僕は、相方にすべての思いをぶつけていたんです。例えば、漫才のネタができ上がったら、朝の6時であろうが、相方を呼んでけいこをする。エネルギーを向ける方向が、全部相方やったんです。その結果、相方も精神的にしんどくなってしまった時期もあった。でも、絵を描き始めると、エネルギーのかなりの部分を絵に持っていかれる。となると、相方にいく部分が減る。すると、相方も負担が減って、コンビ仲、ひいては人間関係が少しずつうまくいくようになっていったんです。 ただ、それは同時に、絵本作りは時間がかかるということでもあります。1枚描くのにそれだけ時間がかかるので、想定していたページの半分の時点で2年が経っていたんです。毎日何時間も描いて、2年で半分。くじけそうになった時、またタモリさんに「飲みに行こうか」と誘っていただいたんです。