芥川賞受賞から3年の印税はほぼこの長編で消えた……平野啓一郎さん、若き日の思い出の1作
『ボードレール全集』全4巻(人文書院) 現在は絶版
芥川賞受賞から3年後の2002年、27歳のとき原稿用紙約2500枚の大長編を刊行した。タイトルは『葬送』。19世紀半ばのパリを舞台に、ロマン主義を代表するショパンとドラクロワの交流を描いた。小説は高校時代に読んだカシミール・ウィエルジンスキ『ショパン』から芽吹いた。ポーランドの詩人による分厚いショパン伝で、ドラクロワとの関係にも詳しかった。 【写真】本に囲まれる平野啓一郎さん
「ショパンが活躍したのは七月王政期。リストやメンデルスゾーンが同じサロンでピアノを弾く時代が、この世の中にあったのかって感動した」
『葬送』の構想が生まれたのは大学在学中だった。時を同じくして、ドラクロワ論を収めたボードレール全集と出会う。「渡りに船のように当時住んでた下宿のすぐ近くの古本屋に売ってて、これだと思って買った」
イメージは膨張した。ルイ・フィリップによる立憲君主政の七月王政から第二共和制の契機となった二月革命はショパン、二月革命からルイ・ナポレオンによる第二帝政はボードレールを主人公に据え、橋渡しとしてドラクロワを描くことを試みた。一時は原稿用紙5000枚の巨編になる可能性があったという。
「芥川賞でもたらされた経済的な恩恵によって3年間くらいほとんど家から出ずに小説に集中した。印税は、ほぼ全部『葬送』を書くのに消えた」と笑う。
全集では巧みな文章にも魅せられた。「批評家としても名文家。批評であんなに読みいってしまう文章はない」。文芸・美術批評を含めて全巻を通読した。
古今の文明の盛衰を見つめ、世界の多様性を唱えるボードレールの概念「生命力の移動」には、思想の手がかりも得たという。
「単線的な進歩(観)をけなしていた。ある文明が滅びたら、他の文明が栄えて、複数的な世界があるから世界は持続するという話をしている」「彼自身が〈死刑囚にして死刑執行人〉(『悪の華』)という自我の分裂を抱えていて、“分人”という考え方のヒントになった」
00年代には「自分探し」「本当の自分」といった言葉が飛び交っていた。そうした時代を穿(うが)つかのように、後に平野さん自身が唱えることになる自己の複数性を認める思想「分人主義」を通奏低音として、作品を生み出していく。(真崎隆文)