「民主主義」が問われた一年 2015年の日本政治を振り返る
「民意」か「民主的手続き」か
ここで、民主主義論の観点から、今回の安保法制の問題を考えてみたい。この問題については、大まかにいうと二つの立場が対立している。 第一に、政権が「民意」と隔たっている政策を強行するのは民主的でなく、大きな問題だ、とする立場がある。この立場からすれば、安保法制をめぐる安倍政権の手法は強く批判される。 第二に、正当に成立した政権が決定し、国会での多数が賛成した政策であれば、民主的な手続に則ったものであり問題がない、という立場もある。この立場からすれば、野党や国会外のデモがいかに反対を強く叫ぼうとも、安保法制は国会により正当に可決されたものであり、民主主義の結果にほかならないということになる(厳密に言うと、民主主義の問題とは別に立憲主義の問題も関係するのだが、紙数の都合でここでは割愛したい)。 この二つの立場は、どちらかが完全に正しくどちらかが完全に誤っているというものではない。両者の立場とも、政治学における民主主義論の系譜に深く根ざしているものである。 簡単に言うと、民意を重視する第一の立場は、古くは直接民主政を主張した18世紀の思想家ルソーにさかのぼるし、熟議民主主義を唱えるハーバーマス(政治哲学者、1929~)もこの立場に位置づけられよう。一方、国民の代表たる政治家の役割を重視する第二の立場は、「民主主義とは政治家の競争的闘争である」と喝破したシュンペーター(経済学者、1883~1950)に連なるものである。政治家が主導して決定を行うことが民主主義をうまく動作させる鍵であるとの考えは、彼以降の政治学において影響力を持ってきた。 あえて単純化すれば、第一の立場は「下から目線の民主主義観」、第二の立場は「上から目線の民主主義観」ということになろう。繰り返すが、この両者の立場はどちらも相応の根拠を持つものであり、白黒をはっきり付けられるものではない。 安保法制と民主主義をめぐる議論は基本的にはこの二つの立場からなされたものであったが、異なった立場からの議論が活発になされること自体は民主主義にとって健全なことである。ただ、残念なのは、この二つの立場からの議論が、あまりかみ合わずに、すれ違うことが多かったように思えたことである。 民主主義についてどのような立場をとるかは、その人の政治的な価値観と深く関わるものなので、立場の違いは容易に解消できるものではない。しかし、少なくとも対話が成り立つようにしないと、建設的な議論は生まれない。今後は、「下」と「上」、両方からの目線が一つの焦点を結べるような民主主義論が求められているのではないだろうか。