阪神戦力外→よぎった“コンビニ勤め” 塁間が精一杯の肩…再就職先で変わった境遇
的場寛一氏は2005年オフに阪神から戦力外…社会人のトヨタ自動車入り
元阪神の的場寛一氏は2005年に戦力外通告を受け、社会人野球のトヨタ自動車入りした。思い出作りレベルで12球団合同トライアウトに参加したところ、声がかかった。元プロのプライドなんて関係なかった。トヨタ2年目の2007年には4番打者に定着し、社会人野球日本選手権初優勝に貢献。チームに欠かせない男になったが、これには阪神時代に野村克也監督のミーティングを書き写した“野村ノート”が大いに役立ったという。 【映像】グラブ投げつけ、踏むわ踏むわ…ブチ切れて扇風機をボコボコ 2005年11月7日はファイターズ鎌ケ谷スタジアム、11月25日は神戸総合運動公園サブ球場、この年2度行われたトライアウトに阪神戦力外の的場氏の姿があった。「何か記念にと思って、一応受けておこうとなった。絶対、他の球団が拾うわけないわって思いながら行きました」。その年の3月に痛めた右肩の状態は万全ではなく「シートノックに入らず、バッティングだけでいいですかと言って、最後の野球を楽しもうと思ってやっていました」という。 「結果はほぼフォアボールで、何やねんって思いましたけどね」。この時点では野球は諦めるしかないと考えていた。「コンビニのフランチャイズとか、そういう仕事も検討していた。『どこのコンビニにしようか』みたいな話もしていた時に阪神で担当スカウトだった永尾(泰憲)さんから『世界的規模の会社からの話がある。いついつにセッティング、どうですかってなっているから、ちゃんとスーツを着て、早めに行って待っときなさいよ』と連絡があったんです」。 それがトヨタ自動車からの誘いだった。「その年のトヨタは日本選手権で左ピッチャーを打てずに負けたそうで、右バッター、誰かおらんかって、トヨタの編成の人がトライアウトリストを見たら“的場がおるやん、これどうや、ちょっと話してみようか”ってなったと聞きました。僕のことは大学(九州共立大)の時も獲りにいっていたそうです」。これにはトヨタの佐々木雅次野球部長が阪神・岡田彰布監督の早稲田大時代の1年先輩ということもあった。 「佐々木部長が岡田さんに連絡をして『実際、的場はどうか』と聞いたところ『全然使えるよ。バッティングええよ』と言ってくれて、その一言でよし獲ろうと進めたそうです。『これまでのヒット集とかないかな』と言われたので家に帰って編集して送りました。運がいいことに人事部長も阪神ファンで『的場ならええよ』みたいにもなって……」。阪神時代に痛めた右肩の影響で「『塁間くらいしか投げられないんですけど、それでも大丈夫ですか』と聞いたら『大丈夫、バットで貢献してくれ、これまでの経験を若い子に伝えてくれればいいから』と言われて、年内には入社が決まりました」。