日本にゴルフがあるのはこの4人のおかげ!? アリソン、大谷光明、赤星兄弟が設計したゴルフ草創期の名コースを振り返る【コース設計家・前編】
プロよりも強く、ゴルフ技術の向上に多大な貢献 ●赤星六郎(1898~1944) 兄・四郎より3歳年下で、米国のプリンストン大に留学。 1924年3月パインハーストCCで行われたスプリングトーナメントに出場し見事優勝。帰国後、四郎と共にゴルフ界の発展に尽くした。 1927年の第1 回日本オープンでは2位の浅見緑蔵プロを10打引き離してアマチュア優勝を果たしている。 1930年に来日したC・H・アリソンの通訳として行動を共にし、多くの知識を吸収。
赤星六郎が設計した相模GC:相模湾からの風が吹く平坦な原野をリンクスに見立て、66個のバンカーで変化をつけた。「幾何学的ではなく芸術的なものに夢と理想を込めた」と語っている。 主な設計コース:我孫子GC(1930)、相模GC(1931)、藤澤CC(1932 )
米国留学後に草創期だった日本のゴルフ界を牽引 ●赤星四郎(1895~1971) 薩摩の富豪赤星弥之助の4男として生まれ、麻布中学卒業後に米国に留学し、ペンシルベニア大でアメリカンフットボールの選手として活躍した。 帰国すると日本ゴルフ界向上のために力を注いだ。1926、28年日本アマに優勝。 コース設計理念は「地形、高低差がコースの命」「アンジュレーションこそがゲームそのもの」だった。
赤星四郎が設計した富士CC:箱根の裾を巧みに生かして造られたコースは変化に富み、高い戦略性を備えゴルファーの技量が試される。豪快な13番ホールは印象的で景観も優れている。 戦前の設計に函館GC、仙塩GC、熱海GCなど。主な設計コース○函館GC(1927)、霞ヶ関CC東(1929・共同)、仙塩GC浦霞(1935)、熱海GC(1939)、箱根CC(1954)、富士CC(1958)など ※週刊ゴルフダイジェスト2024年1月30日号「発表! 殿堂入りコース 設計者20名」より一部抜粋
週刊ゴルフダイジェスト