<リベリア・内戦の子供達>ムス(その2) ── 高橋邦典フォト・ジャーナル
アメリカへ
2006年、ムスと僕にとって思いがけない機会が訪れた。 この年リベリアの大統領に就任したエレン・ジョンソン・サーリフのシカゴ訪問に同行し、ムスが渡米することになったのだ。僕が当時勤務していたシカゴの新聞社に掲載されたムスの写真記事がきっかけだった。 アートパークのビルに映し出された巨大な顔写真、遊園地での観覧車に回転木馬…。インターネットはおろか、テレビさえもない家で暮らしているムスにとっては、こんな世界が存在していること自体が驚きだったろう。
飛び回るムスの姿をファインダー越しに追いかけながら、僕はあることにふと気づいた。彼女が片手だということが、いつの間にか僕には「見えなく」なっていたのだ。それはたぶん、肘までしかない右腕を隠そうともせず、片手の不便さなどかけらもみせないムスの自然な振る舞いのせいだったのだろう。彼女はおそらくもう自分を「障がい者」などとは思っていない。慣れない異国の地に来ても普通の子供のようにはしゃぎ回るし、それでまわりの僕らも自然とムスを特別だとは感じなくなってしまうのだ。強い子なんだな…。僕はあらためて感心した。 すっかり遊び疲れたムスは、この夜、大統領のスピーチの最中に客席に身を沈め、ぐっすりと眠りこけていた。
神様が決めた人生
「将来何になりたい?」 砲弾がムスから右手を奪ったあの日から10年。ミッド・ティーンの多感な年頃に成長したムスに、僕は以前と同じことを尋ねてみた。当時まだ7歳だった彼女は、医者になって他の怪我をした人達を助けたい、と言っていたことを僕は覚えていた。 「ゴスペルの歌手か、医者になりたいわ」 歌手と聞いて意外な顔をした僕に、彼女はこう続けた。 「音楽には特別な力があるわ。病んだ人さえも癒す力が。沢山の素晴らしい歌を歌える歌手になりたい。私の歌で傷を癒し、盲目の人にさえ光をあたえられるような」 ムスにとっては、歌手も医者と同じように「人を癒す」仕事なのだ。片手を失った彼女は、これまで多くの人たちから助けられてきた。だから将来は自分が人を助けてあげたいという気持ちは今も変わっていないようだった。