学校や図書館で禁書の申請が過去最多に、米国で何が起こっている? 標的にされる本とは
学校の図書館で抵抗する人々
20世紀になって社会の道徳観はより寛容になったものの、学校の図書室は、現代化する米国社会を生きる子どもたちにどのような情報を与えるかをめぐる論争の場であり続けた。親は教育委員会や図書館の委員会に乗り込んで、何を禁止するかで議論を戦わせた。 禁書を求める理由は様々だ。長い間語られてきた米国の歴史や社会規範に反する思想への抵抗であったり、言葉遣いや性的、政治的な内容が問題視されたりした。 禁書運動は、図書館員を萎縮させてしまう効果があった。論争を呼びそうな資料を蔵書に加えようとしなくなるためだ。 しかし、逆に組織化して抵抗を始めた人々もいた。1950年代の冷戦下で、共産主義や社会主義を助長するとして『ハックルベリー・フィンの冒険』『ライ麦畑で捕まえて』『アラバマ物語』『カンタベリー物語』といった作品がやり玉に上がったときも、図書館員たちは立ち向かった。
読む権利めぐり裁判も
1969年、生徒たちの表現の自由をめぐる議論に米連邦最高裁判所が加わった。高校生がベトナム戦争への反対を示す黒い腕章を着けて登校することの可否をめぐって、最高裁は7対2で、「教師も生徒も、憲法で保障された言論および表現の自由の権利を捨てて校門に入るわけではない」とし、生徒の訴えを認めた。 その後、ニューヨーク州教育委員会がカート・ヴォネガットやラングストン・ヒューズといった作家の本を「反米的、反キリスト教的、反ユダヤ的、単純に下品」として禁止したことに対し、中学生と高校生のグループが訴えを起こした。 1982年、最高裁は米国憲法修正第1条(表現や宗教の自由)を引用し、「本書に含まれている思想が気に入らないからという理由だけで、教育委員会は学校の図書室から本を撤去してはならない」とした。 それでも、1980年代前半にはあまりにも多くの禁書要求が殺到し、図書館は読む自由を推進する「禁書週間」を立ち上げて抵抗を試みた。今も、禁書になることが多い本や憲法修正第1条への意識を高めるために、米国の文学界と図書館が年に1度開催している。