源氏物語は〝最古の女性文学〟…じゃない! 東アジアの文化の集大成だった 紫式部の能力とは
「光る君」は固有名詞でなく「光って見えた」
たらればさん:僕たち日本語文化圏に育った人間は、「光る君」と聞くと、「源氏物語の光源氏」という固有名詞でとらえますよね。 水野:そうですね。古文で習ったなぁ、と。 たらればさん:でも、多分、なんていうのかな…、源氏物語が書かれた頃の人にとっては、本当に誰かが光って見えていた経験があるんだと思うんですよ。 これは「レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳『源氏物語』」(毬矢まりえ・森山恵著)の書評でも書いた話なのですが… <アーサー・ウェイリーが100年前に英訳した「源氏物語」を、現代日本語に再翻訳した著者のふたりが、時空を超えた物語の秘密と魅力を解きあかす内容> たらればさん:きっと当時、自分よりもずっと高貴な人は、実際に光って見えていたと思うんですね。これは今でも信心深い人には「そのように」見えているとも思うのですが。 水野:光って見えた! たらればさん:優れた人や徳の高い人が光って見える…というのは、世界中の伝説で語られていますよね。 仏像や仏画には「光背」と呼ばれる意匠が施されていて、あれはつまり後ろから光が当たる「後光」です。あんなイメージ。 だから源氏物語の光源氏という人は、幼い頃から周りの人には実際に光り輝いて見えていたんでしょう。たぶん見る側の人が興奮して、瞳孔が開いて世界が明るく感じていたんじゃないかと思いますけど。 水野:たしかに魅力的な人がキラキラ輝いて見える…というのはマンガなどの作品でも見られる表現方法ですよね。わたしたちにも実際にそう見えているからなんでしょうね。 たらればさん:この先、大河ドラマの主人公・まひろ(後の紫式部)は、思いを寄せ合う藤原道長を、ずっと見続けることになるわけですよね。光り輝く人に出会って、それを物語の主人公に据えようと…。 水野:そして道長にとっても、まひろは光っているわけですよね…。 たらればさん:だから雑踏の中でもお互いをすぐ見つけ出せるんですよね。