『テイラー・オブ・パナマ』真実と虚構の狭間で揺れる”仕立て屋”にジョン・ル・カレが投影したもの
007とは根本的に異なる、ル・カレ的スパイ像
さて、本作の要となるのは、1999年12月31日にアメリカからパナマへと返還されたパナマ運河だ。かねてより建造、管理、運営の面で様々な思惑が交錯し、返還後の将来像も極めて不透明という中、未来を予測するかのように1996年に書かれたのがジョン・ル・カレの原作小説だった。それから5年後という速さで映画化された本作も、まさにこの転換期を逃すことなくヴィヴィッドに捉えようとした一作だったと見て差し支えない。 ル・カレといえば、『裏切りのサーカス』(11)、『ナイロビの蜂』(05)、『誰よりも狙われた男』(14)といった映画化作品や、「ナイト・マネージャー」(16)のようなドラマシリーズで知られるスパイ小説の大家だ。彼自身が諜報機関の出身者ということもあり、描かれるスパイ像は極めてリアル。ジェームズ・ボンドのような派手でアクション満載の作風とは一線を画し、特殊な状況の中で執念深く観察し、仕掛けて、見極め、ことの真相をじりじりと炙り出す、そんな硬派な展開力と緻密な作品構造が魅力を放つ。 その意味では、当時007シリーズでボンド役を好演していたピアース・ブロスナンが、本作でル・カレ的スパイ像に真っ向から挑んでいるのは絵的にも非常に面白い。 彼が演じるアンディという役柄は、冒頭からどうしようもない不祥事をやらかし、いわば島流しのような形でパナマへと異動させられる。しかし瞳の輝きは全く死んではいない。転んでもただでは起きない彼は、怪しいオーラを身に纏いながらパナマに降り立ち、当地の政治家や有力者たちを顧客にもつ現地在住のイギリス人でありユダヤ人の仕立て屋ハリー・ペンデル(ジェフリー・ラッシュ)をあの手この手で揺さぶりながら、有益な機密情報を聞き出そうとする。 かと思えば、仕立て屋ハリーも人には言えない過去を抱えていた。サヴィル・ロウで事業を興した高級テイラーの流れを組むように見せながら、実はそんな事実はなく、刑務所に収監されていた折に”仕立て”を学び、その後、誰も知人のいないパナマで嘘を塗り固めるように生きてきた男だ。その間にはノリエガ政権下における圧政などもあり、まさに舌先三寸の才能で彼は生き延び続けてきたといっていい。 彼はいわば嘘の仕立て屋。長年築き上げてきた嘘の牙城は盤石なはずだった。しかしスパイのアンディはすぐさま脛の傷を見抜き、精神的な揺さぶりをかけてくる。するとハリーは苦し紛れにまた嘘をつく。それもアンディが目を輝かせるような魅力的な嘘だ。入手した情報をアンディは我が物顔で本部の上司へ報告する。上司は浮き足立ってその情報をアメリカ側へ伝達する。その信憑性を深く確かめることなく、アメリカは緊急作戦を始動させる・・・と全てがドミノ倒しのように悪い方へ悪い方へと転がっていくのである。