「だから戦争はしちゃいかんです」死刑を宣告された兵曹長の真実を知った息子たち~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#43
虚偽の調書を作成され「嘘つき」と
<炭床静男被告人質問1948年2月12日> 弁護人の訊問に対し (炭床)昭和22年7月14日頃、検事側から巣鴨で陳述書を取られ、相手は福岡で調べた通訳であった。日本文の書式を示され、この通り書けと言われた。内容は福岡での口述書は脅迫されず、自由意志で作成したものであると言う意味のもので、自分は全然違うと抗議し、福岡で作られたものは責められたもので真実ではない。 訂正してくれなければ、その様なものは書けぬと言った所、あれは他の検事に渡してあるから、訂正出来ぬ、違う所があれば法廷で言えと言い、訊ねると法廷で発言する機会があると言うので書いた。 日付が昭和22年4月15日前後となっていたので、その頃は石垣島に居たと言うと20年の誤りだから20年と書いてくれと言い、銃殺を書いてあったので、刺殺でないかと言うと、そうだ、刺殺と直してくれと言うので直した。私より先に書いた者は皆「20年」と「刺殺」が直されたはず、それは法廷で訂正する約束の下で書いたものであり、真実でない。 検事の訊問に対し (炭床)法廷まで待てぬと主張したが、訂正出来ぬと断られた。巣鴨では脅迫はされなかった。法廷で訂正出来るとの話でなければ書かなかった。巣鴨で書く時、こんな物を書けば、(戦犯裁判で判決を下す米軍の)委員会で嘘つきと思われるとは思わなかった。事実を述べれば信じて貰えると思った。嘘が書いてあるので初め書けぬと断ったのだ。 〈写真:石垣島事件の公判概要(外交資料館所蔵)〉
命令通り機械的に刺した
前回紹介した被告人質問の前半の部分で、炭床静男は「命のやり取りをしている戦場」で、当日、戦死した兵士の火葬をしていたとしても復讐の気持ちなどは湧かず、「戦闘行為の一つ」という認識で、杭に縛られたロイド兵曹を銃剣で刺したと述べている。 被告人質問が行われた日には、弁護側から静男の口述書が証拠提出されているが、その下書きであろうと思われる文書には、 「二十人位突刺したと思う頃、榎本中尉が私に『炭床兵曹長、引込でいないで、模範を示せ』と命令しましたので、私は近くにいた兵の銃を取り、ただ、命令通り、機械的に一回突刺しました。私が突いた後、5,6名の兵が突いた様に記憶します。 私は前述の通り、榎本中尉の命令により、飛行士の遺体を一回突刺しましたが、これは絶体命令により、真にやむを得えない行動であります。」 と記されていた。 〈写真:死刑を宣告される炭床静男兵曹長(米国立公文書館所蔵)〉