ありがとうタンタン「阪神・淡路大震災で被災した子どもたちの心を癒してあげたい」パンダが神戸で"復興のシンボル"に『一緒に復興の道を歩いてくれた』
飼育員の梅元さん「家族とか友達以上の関係、ありがたい存在だった」
2008年からタンタンを担当してきた飼育員の梅元良次さん。心臓疾患で一般公開が中止となった後も、SNSでタンタンの様子を発信するなどしてきました。2021年に心臓疾患が判明して、中国に帰ることなく神戸で治療が続けられてきました。 しかし、3月31日夜、タンタンは息を引き取ります。心臓疾患に起因する衰弱死とみられています。28歳。人間でいうと100歳近い年齢でした。16年にわたりタンタンをみてきた梅元さん。 (飼育員 梅元良次さん)「ずっと近くで見てきたので、頑張ったなというのが一言目でした。家族とか友達以上の関係というか…神戸の復興のために来ていただいて、すごくファンの多い子だったので、すごく自分自身にもありがたい存在だったなというふうに思っています」 かつて地元で商店を営み、タンタンが動物園にやってきたときにはパンダの着ぐるみを着て盛り上げた、灘駅前商店会の新井みき会長。タンタンが来て神戸は変わったといいます。 (灘駅前商店会 新井みき会長)「タンタンが来たということで180度変わりましたね。震災の後にこの街が一瞬にして変わっちゃった。こんなにもパンダで変わるものなのかなというのは痛切に感じますね。(Qタンタンにどんな言葉をかけたい?)長い間お疲れさまでしたという言葉ですかね。長かったですからね」 阪神・淡路大震災の復興のシンボルとして長年多くの人から愛されてきたタンタン。4月2日、動物園に設けられた献花台を訪れた人たちからも、感謝の声が聞かれました。 「(震災で)神戸は何もかも失って悲惨な状態だったんですけど、一筋の光を与えてくれて。パンダさんいるよっていうことで、すごく一緒に復興の道を歩いてくれたという思いが強くて。やっぱり神戸市民の支えだったかな」 「ありがとうって気持ちだけ。本当に頑張ったからゆっくり休んでねっていう気持ちですね。タンタンはずっと私の中では生き続けているから。もう一度会いたかった。もう一度。もう一度だけ会いたかったです」