「眠ったふりをしていた娘を置いて」MISIAの母・小児科医の伊藤瑞子 離島医療で夜間の呼び出しに多忙な日々も「娘が夢を叶えられた理由」
── その光景を想像すると微笑ましいです。 伊藤さん:長男はさすがに頼んでも一緒に連れ歩いてはくれませんでしたが、小学校高学年の男の子が4歳の女の子を男の子同士の遊びに連れて行くのは、今考えると気恥ずかしいですよね。 そのころ、私と夫が勤務していた長崎県大村市の病院は、離島の重症の患者さんをヘリコプターで搬送していたのですが、夫が「自分たちが行った方が早い」と言い出しまして。私も長崎県対馬市の離島医療に携わることになりました。上の子2人が中学生のころで、次女はまだ保育所に通っていました。
── 離島での生活はいかがでしたか。 伊藤さん:上の子たちは最初「行きたくない」と言っていたのですが、部活動でお友だちができ始めてから慣れていきました。そのころ、人口はおよそ46000人でしたが、現在は過疎が進行しておよそ27000人になっています。何しろ医療過疎の島ですから、本当に忙しくて私たち夫婦は仕事ばかりしていました。仕事の話を家ではしないご家庭もあるかと思いますが、私たちは親が何をしているか、子どもが見てくれることで理解してくれていたのがよかったと思っています。ときどき親の議論に加わって、子どもが鋭いことを言うのも面白かったですね。
夜も、子どもたちだけでお家にいることもありましたが、3人だったからこそできたことだと思います。寒い時期に次女が、移動販売の焼き芋を買って、私たち両親の分をアルミホイルに包んでストーブの上で温めてくれていたこともありました。心に残る、嬉しかった思い出のひとつです。今は難しいかもしれませんが、子どもたちだけで家にいられる時代でした。 私たちはただ一生懸命、目の前の患者さんと向き合うことができました。離島の病院では24時間、病児保育つきの保育所を作りました。設立には反対意見もありましたが、この保育所は今も続いていて、離島医療圏の女性も子どもを連れて単身赴任ができると伺いました。小児科の診療に、検診や予防接種、住民への健康教室、産科の新設や周産期寮の立ち上げと、離島での10年間は本当によく働いたと思います。
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