大岩剛監督、異例の再任 ロス五輪で60年ぶりメダルへ「継続と一貫」 パリ五輪8強で「この年代の重要性感じた」
2028年ロサンゼルス五輪を目指すサッカー男子日本代表で指揮を執る大岩剛監督(52)が13日、東京都内で記者会見を行った。原則23歳以下の年齢制限が設けられた92年バルセロナ五輪以降、2大会連続で五輪の指揮を執れば日本史上初。異例の再任となった大岩氏は「継続と一貫」とキーワードに掲げた。8強に終わったパリ五輪より1年多い準備期間を追い風に、1968年メキシコ市五輪の「銅」以来、60年ぶりの五輪メダルを目指す。 再び重責を託された大岩監督は、強い覚悟と使命感で表情を引き締めた。「この年代の重要性はパリ五輪までを率いた2年半の中でものすごく感じた。私の経験が生きるならぜひ、やらせてもらいたいという気持ちだった」。C大阪などJクラブからもオファーを受けたが、最後は協会からの続投要請を受諾。再び世界と戦い、メダルを目指す道を選んだ。 会見では「継続と一貫」をキーワードに掲げた。パリ五輪世代には常に「A代表基準」や「攻守にアグレッシブなサッカー」を求め、結果として24歳以上のオーバーエージ(OA)枠は使用せず、さらにMF久保建英ら中心選手も招集できない中で1次リーグを3連勝で首位通過して8強進出。このマネジメント能力が再任の決め手となり、協会の山本昌邦ナショナルチームダイレクターは「育成と勝利を目指す究極の仕事。これ以上の経験値があって、さらに先を目指せる監督はいない」と信頼を口にした。 続投の利点は大きい。コロナ禍で東京五輪が1年後ろ倒しとなったこともあり、パリ五輪の準備期間は22年3月の始動から約2年半だったが、今回は視察期間も含めて五輪本大会まで3年半ある。「国際試合を数多くやっていけるというのは一つのアドバンテージ」と指揮官。パリ五輪まで87人を招集したが、今回は100~120人を招集しながら、「急激に成長する」世代の強化と結果の両面を求めていく。 来年6、7月頃に本格始動する第2次大岩ジャパンは、メキシコ市五輪「銅」以来、60年ぶりの五輪メダルを照準に定める。「(パリは)目標のファイナルには届かなかった。その目標は新たにロス五輪へ。五輪は日本国民の皆さんが注目をして見ていただける大会。期待を成績に反映できる準備をしたい」。この夏に届かなかった夢をロス五輪でかなえる。(後藤 亮太) ◆後藤啓、道脇、塩貝ら海外組がズラリ 05年以降生まれのU―19日本代表は、海外遠征など強化を図っている。特に層が厚いのは攻撃陣。海外組では後藤啓介、道脇豊、塩貝健人(19)=NEC=らが活躍しており、国内組でも神田奏真(18)=川崎=や徳田誉(17)=鹿島=らが既に自チームで存在感を発揮するなど、逸材の宝庫だ。 高校生ではサウサンプトン(イングランド)に加入内定の高岡伶颯、U―17アジア杯MVPの名和田我空(がく、18)=神村学園=らも目が離せない。パリ五輪でトレーニングパートナーを務めたMF佐藤龍之介、同アジア杯最優秀GKの192センチ、後藤亘も控えるなど世代全体で充実している。 ◆日本代表のパリ五輪 1次リーグ初戦のパラグアイ戦は5―0で圧勝。三戸舜介と藤尾翔太がともに2得点を挙げた。2戦目のマリ戦も1―0で勝利。山本理仁が決勝点を奪った。第3戦のイスラエル戦は後半アディショナルタイムに細谷真大がゴールを決め1―0。3連勝で、日本史上初のOA枠なしでの8強入りを決めた。準々決勝は、優勝したスペインに0―3で完敗。悲願のメダル獲得とはならなかった。 ◆大岩 剛(おおいわ・ごう)1972年6月23日、静岡市生まれ。52歳。筑波大から95年に名古屋入り。磐田を経て、2003年加入の鹿島では07~09年の3連覇に貢献。10年度の引退後は鹿島コーチを経て17年途中~19年まで鹿島監督。21年12月にパリ五輪世代の日本代表監督に就任し、24年パリ五輪では8強入りした。
報知新聞社