ロカーナ出身のクライマー、ジャンマリオとすごす時間|筆とまなざし#389
サルビアのお茶を飲みながら、それぞれの風習について語り合う。
軽快なノリのイタリア人が多いなかで、ジャンマリオは落ち着いていて思慮深く、それでいて包容力を持ち合わせている。歳はぼくより幾分か上だろう。ロカーナ出身のクライマーでオルコの開拓も行なっている。 ジャンマリオに初めて会ったのは昨年のことだった。「ディディエに実際に会った友人がいるんだ」とグラチアーノから紹介してもらったのである。それはロカーナを経つ前日のこと。近所にあるバー「エーデルワイス」でビールを飲みながら、オルコにある未登のクラックやクラックボルダーの写真を見せてくれた。ぼくらが滞在しているアパートの斜向かいの建物の中にルーフクラック付きのプライベートウォールがあるらしい。彼のパートナーのロサンジェラは心理学者で、日本文化、とりわけ瞑想などの精神文化にとても興味を持っていた。ふたりと会ったのはその日だけだったのだが、S N Sのおかげで気軽に連絡を取り合うことができた。 ジャンマリオはロカーナを離れてからしばらくの間ジェノバに住んでいたが、数年前にトリノに引っ越してきた。トリノからロカーナまではおよそ70km。週末にはときどき故郷に帰ってくるのだという。 ロカーナに着いた翌日、マウンテンフェスティバルでふたりと再会することができた。ふたりは変わらぬ穏やかさで、いっしょに「Green spit」の取り付きへ向かった。 「あの未登のクラックを見せてもらえませんか? 」。 ぼくはジャンマリオに尋ねた。彼は快諾してくれ、後日そのルーフクラックを見に行くことになった。 約束した日は朝から雨だった。クラックは川の対岸にあるのだが、増水して渡渉するのは難しい。対岸から眺めるだけだったが場所がわかっただけで十分だった。 「よかったら秋のコンディションの良いときにトライしに来てください。ところで、家に寄って暖かいものでも飲んでいかない? 」。 ジャンマリオは両親が住んでいた家(つまり実家だと思う)に滞在していて、ぼくらが到着するとロサンジェラが穏やかな笑顔で迎えてくれた。ドアを開けるとすぐにキッチンがあり、素朴で温かみのある無垢のテーブルが置かれていた。時代を感じさせる柱や梁がとても落ち着いた雰囲気を醸し出している。 「ちょっと待ってて」。 ジャンマリオはヤカンに火をかけたまま外へ行き、しばらくするとなにやら葉っぱを手に持って戻ってきた。 「『サルビア』といって、お茶にすると美味しいんだ」。 「セージみたい」。 ハーブに詳しい妻が言う。 「そうそう、英語ではセージだね」。 ポットに葉っぱを数枚入れて熱湯を注ぎ、待つこと数分。ほんの少しだけ黄色に染まったサルビアティーは、爽やかで清々しい香りがした。口に含むと柔らかな舌触り。清涼感とわずかな苦味が、身体に溜まった毒素を浄化してくれるような気がして心地よい。地中海沿岸が原産だというサルビア。実際、抗酸化作用や抗菌作用があるそうで、この谷でも古くから薬草として用いられてきたのだろう。 窓の外から聞こえる雨音、間接照明で少し暗い室内。お茶を飲みながら、静かな時間が流れる。ロサンジェラがトリノの古い建築物が載った写真集を見せてくれる。なぜだったかは覚えていないが、話はいつしか日本のお盆の話題になった。 「8月13日になると先祖の霊が家に帰ってくるといわれています。霊は家で4日間すごしてから16日にまたあの世に戻っていく。日本にはそんな風習があるんです」。 すると、ジャンマリオが興味深そうに言った。 「ここでも、10月のある2日間、先祖の霊が家に帰ってくるっていわれているんだ。だからその日は先祖のためにご飯を用意しておく。先祖の霊はぼくらが寝ている夜のうちにそのご飯を食べるんだ。そして2日経ったらまたあの世に帰っていく。いまはもうやらなくなってしまったけど、両親は先祖のためにご飯を用意していたね」。 ジャンマリオの話にびっくりした。と同時にとても親近感が湧いてきた。キリスト教以前からこの地に伝わる風習なのだろうか。日本でも、仏教が伝来する前から祖霊信仰として先祖をお迎えする行事が行なわれていたという。ほかの多くの地域でも祖霊信仰は行なわれていたはずで、なんだかとても古い、ここの山々とつながりのある習俗に触れた気がした。 「日本では死んだ人の霊は山へ行くと考えられている地域もあるんです。山はあの世であり、再生するための母胎でもある」。 「それはとっても興味深いね」。 ふたりはそう言いながら日本の文化の話に耳を傾けてくれた。そのことがとてもうれしかった。そして彼らとすごす時間がとても大切な時間に思えた。同時に、この谷に伝わる古い文化をもっと知りたいと思った。 翌日はプライベートウォールを見せてもらう約束をした。いつの間にか雨は小降りになっていた。
PEAKS編集部