くりぃむしちゅー・上田晋也 最近の悩みは“記憶力”の低下?「有田の名前が出てこなかった…」
TOKYO FMの音声サービス「AuDee(オーディー)」で配信中の、放送作家兼ラジオパーソナリティの植竹公和が、彼のレーダーにかかった文化人を招いて送るスペシャルトーク番組「歌う放送作家 植竹公和のアカシック・ラジオ」。今回のお客様は、お笑いコンビ・くりぃむしちゅーの上田晋也さん。ここでは、エッセイ本を書くきっかけとなったエピソードを語ってもらいました。 ▶▶【音声を聴く】「植竹公和のアカシック・ラジオ」
◆記憶力に自信がない年齢になってきた
上田:僕ね、30代後半ぐらいまでは自分のなかで記憶力が一番あったんですよ。でもね、40代を過ぎてから記憶力が一番自信のないジャンルになったんです。 植竹:わかる。あとで紹介するけど、上田さんが書いた本(「赤面 一生懸命だからこそ恥ずかしかった20代のこと」(ポプラ社))は10代とか若い頃の記憶なんだよね? 上田:なんで植竹さんに呼ばれて来たかというと、本のお知らせなんですよ。植竹さんに会いたかったわけではなくて(笑)。 植竹:うるさいよ(笑)。 上田:年に1冊ずつぐらい本を出していて、3年前に1冊目の「経験 この10年くらいのこと」(ポプラ社)を出したんです。次の年に「激変 めまぐるしく動いた30代のこと」(ポプラ社)を出して、2023年11月に「赤面 一生懸命だからこそ恥ずかしかった20代のこと」(ポプラ社)を出したんですよ。 そもそも、1冊目の本は40代の頃の思い出を書いたんです。というのは、コロナ禍に入って時間ができて「この10年ぐらい連載をやっていないから文章を書いてないな」とふと思ったんですよ。 植竹:うんうん。 上田:文章もたまには書かないといけないなと思って勝手に書き書き始めて。せっかくだから、この10年ぐらいのことを思い出してみようと、リハビリ的に書いたんですよ。 植竹:なるほど。 上田:「経験 この10年くらいのこと」にも書きましたけども、まあ記憶力が酷いんですよ。あるとき、高校時代の同級生のマサルが東京に遊びに来たんですよ。次の日は一緒にゴルフに行く予定だったんですけど、雨が降っていたからやめたんです。 それで、「行きたいところがあったら連れていくけど」と言ったら、熊本ではあまり売っていないようなゴルフウェアが買える店に連れていって欲しいという話になって、銀座の「バーニーズ ニューヨーク」に行ったんです。 植竹:ああ~! 上田:そこで物色をしていたら僕の斜め後ろぐらいから、ある女性が「あれ!? マサル?」と声をかけるわけです。昔東京に住んでいたとはいえ、マサルが東京に来たのって10数年ぶりなんですよ。「たまたま熊本から来てさ」なんて話をマサルとしていて、僕がパッと女性のほうを見たら、僕の顔を見てハッとされたんですよ。 テレビを観てご存知なのかなと思って「どうも、こんにちは」と言ってポロシャツか何かを見ていたんです。そうしたらマサルがね「おい晋也。嘘だろ?」って言うんですよ。 植竹:ほう。 上田:「何が?」って聞いたら「いやいや。リカちゃんじゃん?」と。「リカちゃんはお前の知り合いで、俺は知らないよ」とか思いながら5秒ぐらい女性の顔を見たら、「アッ!」と思い出して。僕の元カノだったんです……。 植竹:ええ!? 酷い(笑)! 上田:しかもね、3、4ヵ月たまたま付き合ったぐらいじゃないんですよ。結婚を考えていたんですからね。 植竹:嘘だろ! 上田:元カノに「今、私のことを無視しようとしたよね?」と言われて「違う。見違えるぐらい綺麗になっていて」なんて言って(笑)。だけど、言い訳をしたところで、僕のことを知っているわけだからボロが出るなと思って。 向こうもご主人がいらしたから、「お世話になっております。上田と申します」とご主人と適当に喋って逃げました。俺、それぐらい記憶力がヤバいんですよ。