通訳者が15分で交代するほどハードな「同時通訳」の仕事
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(11月20日放送)に同時通訳者の田中慶子が出演。同時通訳者という職業について語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。11月20日(月)~11月24日(金)のゲストは同時通訳者の田中慶子。1日目は、通訳者になるまでの経緯について― 黒木)よくニュースなどを拝見していると、外国語の音声と一緒に日本語の通訳が流れてくることがあります。途中で通訳されている方が変わったりしますよね? 同時通訳は疲れるものなのですか? 田中)集中力が必要なので、会議などの通訳の場合は15分交代です。ニュースであれば、もっと早いペースで交代します。ストップウォッチで計りながら交代しています。 黒木)そうなのですね。フル回転という感じですよね? 田中)フル回転ですね。 黒木)リアルタイムで違う言語を日本語にして、その日本語をまたそちらの国の言葉にしていくという感じですよね? 田中)そうですね。 黒木)すごいですよね。これまでに天皇皇后両陛下、総理大臣、テイラー・スウィフトさん、ビル・ゲイツさん、ベッカム選手、台湾のオードリー・タンさんなど、本当に錚々たるメンバーの通訳をなさっています。もともとはアメリカに行き、そこから英語を勉強されたということですが、どの時点で通訳者になろうと思ったのですか? 田中)アメリカの大学を卒業して日本に帰国し、日系企業、外資系企業で働いて、そのあとNPO活動に参加しました。NPO活動は楽しくて、「自分のやるべきことはこれだ」と思っていたのですが、そのNPOが財政難で破綻し、失業してしまったのです。そのとき、あまりにも無気力になってしまい、「とにかくできることをやってみよう」と思って行ったことの1つが、通訳学校に通うことでした。 黒木)通訳の学校に。 田中)私もアメリカに行ったときはまったく英語が話せなかったので、すごく苦労したのですが、日本に帰国したら今度はアメリカの大学などで得た知識が日本語で何と言うかわからなくなってしまったのですね。それまで、「通訳の人はどうしているのだろう」という素朴な疑問がずっとあったので、失業を機に、実際にどうしているのか学校に行ってみようと思ったのがきっかけでした。そして、そのまま同時通訳者になりました。