嫌がる女性をムリヤリ…10人以上を強姦・強盗殺人「日本最悪のシリアルキラー」が残した“最期の言葉”(1915年の事件)
捜査員が「あんた、松本さん?」と声をかける。と、松本は「そうだが…」と答え身構えたところを、2人の捜査員が飛びかかり身柄を取り押さえた。大米龍雲、逮捕。このとき、一緒にいた内縁の妻も逮捕されたが、後の調べで彼女は大米に脅されるまま連れ回されていた被害女性と判明、ほどなく釈放されている。
「最後に何か言うことはないか?」
その後、警視庁に移送された大米は取り調べに対し、法仙庵での窃盗については認めたものの、一連の尼僧殺しは頑なに犯行を否認した。しかし、警察が物的証拠を提示すると居直ったように口を開いた。 「こうなったら仕方ない。悪事は全部白状する。だが、そこらへんの小泥棒とは訳が違う。殺しと強盗だけで200はある。忍び込みと空き巣もそのくらいはあるだろう。俺はそれほどの大泥棒だ。それを白状するのだから警視庁の一番上役を連れてきてくれ」 その後の調べで強盗殺人3件、強盗強姦5件、強盗7件、窃盗9件の裏付けが取れた。が、大米の自供によれば実際に殺めた者は10人以上、強姦した相手にはドイツ人男性の24歳の愛人や神社の巫女(同51歳)も含まれていたという。 1916年(大正5年)5月22日、東京地裁は大米に対し死刑判決を言い渡す。裁判長が「最後に何か言うことはないか?」と問いただすと、大米は息巻いた。
「早く死刑になったほうが、さっぱりしてようがさあ」
「面倒臭えから、さっぱりやってもらいやしょうぜ。なあに、早く死刑になったほうが、さっぱりしてようがさあ」 東京監獄(現在の新宿区富久町に所在)で絞首刑が執行されたのは1ヶ月後の6月26日。当時の看守によれば、処刑寸前も供物の饅頭とお茶を平らげ、さらには要求タバコを美味しそうに吸い「永えこと吸わねえもんだから、畜生ッ、頭がクラクラしやがらア。さあ。やってもらおうか」と終始堂々とした態度だったという。 そして、看守が目隠しをしようとした際には「よせやいッ。クタばっちまえばどうせ何も見えねえんだ」と宣い、絞首台の露と消えていった。享年44だった。
鉄人ノンフィクション編集部/Webオリジナル(外部転載)