「自分の人生をすごく楽しくしてくれたのが陸上」引退表明 パラ陸上のレジェンド山本篤さんに迫る
世界一美しいとも評される跳躍。掛川市出身・山本篤さん、高校生の時、事故で左足を失いますが、山本さんを突き動かしたのは可能性のある限り挑戦するという信念でした。 <山本篤さん> 「義足でできないと言われていることができて、色々なことに挑戦したいという気持ちはものすごい増えました」 大学で陸上部に入るとめきめきと成長。北京パラリンピック男子走り幅跳びで銀メダルを獲得し、日本パラ陸上界初の義足のメダリストとなりました。その後、スノーボードにも挑戦し、平昌パラリンピックに出場。二刀流アスリートとして日本のパラスポーツ界を引っ張ってきました。 <滝澤悠希キャスター> 「夏と冬の二刀流ということですけれども、パラリンピック合わせて5回出場されているわけが、どんな競技人生でしたか」 <山本篤さん> 「本当に自分の人生をすごく楽しくしてくれたのが、陸上なのかなっていうふうに思いますし、やはりパラリンピックで5回、その他にもいろんな海外遠征に陸上があるからこそ行けたというのはものすごく自分の中では楽しかったなっていう思い出です」 <滝澤悠希キャスター> 「陸上を始めて22年、パラスポーツを取り巻く環境は変わったでしょうか」 <山本篤さん> 「すごく変わりましたね。僕がスタートした時には、パラリンピックっていう認知度というのはもうほとんどなかったんですね。でも、今はやっぱり東京パラリンピックがあったことによって、ほとんどの人が知ってくれましたし、やっぱりいろんな企業だったりとか、応援してくれている人っていうのがすごく増えたなというのを感じます」 <滝澤悠希キャスター> 「山本さんですけれども、静岡国際陸上にも毎年出場しまして、エコパスタジアムで勇姿を見せ続けてくれました。地元掛川への思いはどんなものがありますか」 <山本篤さん> 「エコパは家から一番近い競技場で10分ぐらいで行ける競技場なんですね。そういう地元で毎年試合があるというのは、いろいろな人に見てもらう機会でもありましたし、いままでだと健常者の大きな大会に障害者が入ってやるというのがなかなかなかったんですけど、静岡国際が日本で初めてそういうことをやってくれて、本当に毎年出てすごく思い出深い大会ですね」 <滝澤悠希キャスター> 「地元の声援はパワーになっていましたか」 <山本篤さん> 「ものすごくパワーになりましたね」 <井手春希キャスター> 「長年、山本さんを取材してきたSBSには貴重映像が残っています。2008年、北京オリンピックパラリンピックを前に知事への表敬訪問の映像には、山本さんの他にサッカーの岡崎慎司さん、さらに卓球の水谷隼さんと、もうまさに静岡スポーツ界のレジェンド大集合で、もう豪華なメンバーですけれども、山本さんこの時のことを覚えていますか」