「思い込みの激しい奴ほどバカってこたあ確かだよな」いぶし銀の左平次と、ひよっこ役人のコンビが魅力的な時代小説『落としの左平次』(レビュー)
捕物と人間ドラマが、たっぷりと堪能できる時代小説『落としの左平次』が誕生した。その魅力とは? 文芸評論家の細谷正充さんが読みどころを語る。 *** 初物尽くしというべきか。本書は松下隆一の、初の文庫書き下ろし時代小説である。初のシリーズ物である。初の捕物帳である。 二〇二〇年に『羅城門に啼く』で第一回京都文学賞を受賞し、本格的に歴史時代小説の世界に参入した作者は、二三年に『侠』で第六回細谷正充賞(私が受賞作を選んでいる文学賞)と、第二十六回大藪春彦賞をダブル受賞。自分で選んだ作品なので当然の評価だが、人生の重さと、人間の生きる意味を表現した、素晴らしい時代小説であった。 だから次に発表する作品を楽しみにしていたが、文庫書き下ろし時代小説だとは思わなかった。なぜならいままでの作品は文章も内容も硬質であり、よりエンターテインメント性を求められる文庫書き下ろし時代小説には向かないと考えていたからである。しかし、そんな心配は杞憂であった。文庫書き下ろし時代小説用にチューニングした文章は、いい意味で風通しがよく、スラスラと読める。物語の方も、捕物帳と人間ドラマが、たっぷりと堪能できるようになっているのだ。あらためて作者の豊かな才能を実感してしまったのである。 シリーズの開幕となる本書は、全三話で構成されている。主人公の佐々木清四郎は、齢十八。南町奉行所定町廻り同心となって三年だが、まだ見習い同心扱いされている。というのも五年前、定町廻り同心だった父親の清左衛門が、突然卒中で亡くなった。見習い同心に成り立てだった清四郎は、父親から廻り方の何たるかも教わらないまま、今日まできてしまったのだ。尊敬する父親のために、南北両奉行所随一の廻り方になろうと誓っていたが、空回りばかりして、現在はそんな志も忘れていたのである。 第一話「二人の神さま」では、そんな清四郎が、筆頭同心の命により、左平次という男に預けられることになる。優秀な廻り方で、どのようなしぶとい悪党でも、拷問は一切せず、驚くような手を使って必ず白状させることから「落としの左平次」の異名を持っていたが、六年前に同心株を売って、今は町人の身分だ。 さて、八丁堀幸町の番屋に小者の仙太を伴い向かった清四郎。だが、首を吊ったという女のほとけをあらためている左平次の態度はそっけない。仙太(いいキャラである)も勝手に使う。すぐにほとけが、幸町の紅白粉問屋“白石屋”の女中のお里であることと、首吊りではなく殺人だと判明。左平次に不満と不信感を抱いたまま清四郎は、探索をするのだった。 まず本作は、捕物帳として抜群に面白い。犯人の正体もだが、それを暴くための左平次の“仕込み”に驚いた。と思ったら、事件の真相そのものに、もう一段の奥があったとは! 実によく考え抜かれた作品なのだ。 さらに一筋縄ではいかない左平次の言動によって、清四郎が成長していく。ここも大きな読みどころだ。 「いいか、廻り方というのはどんな時でも平らでいなきゃあいけねえ」 「思い込みの激しい奴ほどバカってこたあ確かだよな。思い込んだとたんにそれに合わせて事実をねじ曲げたりするからな」 「清四郎よ……てめえの頭を使うんだぜ。人さまの頭で動いちゃあいけねえ」 「人間を見ることだ。人間を見ていれば糸口が必ず見つかる」 このような箴言が、次々と左平次の口から出てくるのだ。それは現代でも通用する。だから左平次の言葉が胸に響くのだ。 他の部分にも注目したい。左平次の馴染みの居酒屋みくらで、清四郎が事件の話をしようとしたときのことだ。遮っても話を止めない清四郎を、左平次は殴り飛ばす。特に説明はないが、誰が聞いているか分からない場所で話をする、危機管理の甘さに怒ったのだろう。廻り方は事件の関係者の人生や命を左右することがあるから、いろいろなことを慎重に扱わなければならない。しかし人から言われるのではなく、自分で理解しなければ意味がない。左平次の行動には、そのような想いが込められていたのではなかろうか。 続く第二話「清四郎の恋」は、盗賊改の元同心の山本十太夫が、南町奉行所の門前で切腹。やはり盗賊改同心の息子の貞一郎が捕物の最中に賊に刺されて死亡したが、不審があるというのだ。盗賊改も御目付も相手にしなかったため、微妙な関係にある奉行所に、一死をもって訴えたのである。この件を調べるうちに、貞一郎の妻に惚れてしまった清四郎は、左平次の“仕込み”により、苦い真実を知ることになる。 第三話「千両殺し」は、左平次と離れた清四郎が、大工殺しを追う。といっても真相を見抜くのは左平次だ。また、左平次が廻り方を辞めた理由も明らかになる。この件は、今後のシリーズの展開に絡んでくると思われる。 読み進めるうちに左平次が清四郎の父親と仲がよかったことなど、いろいろなことが見えてくる。癖のある性格の先にある、優しさも感じられる。いぶし銀の左平次と、ひよっこだが成長の期待できる清四郎のコンビが、とにかく魅力的なのだ。 そうそう居酒屋みくらの、料理人の蔵三、女将のお香、小女のお花。なにかと清四郎に煩い、母親の妙と女中のお竹など、脇役陣も魅力的。清四郎の成長、左平次の過去の事件の決着、ふたりを中心にした人の輪の広がりなどを、楽しみに見守っていくことにしよう。 [レビュアー]細谷正充(文芸評論家) 1963年、埼玉県生まれ。文芸評論家。歴史時代小説、ミステリーなどのエンターテインメント作品を中心に、書評、解説を数多く執筆している。アンソロジーの編者としての著書も多い。主な編著書に『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』『井伊の赤備え 徳川四天王筆頭史譚』『名刀伝』『名刀伝(二)』『名城伝』などがある。 協力:角川春樹事務所 角川春樹事務所 ランティエ Book Bang編集部 新潮社
新潮社