「NZからアメリカへ」M&Aで急成長の中古車輸出オプティマスが描く夢
いつかアメリカで勝つ
■いつかアメリカで勝つ ただ、NZ市場だけでは1000億円企業になれない。早くから山中の頭のなかにあったのは、英語圏でカントリーリスクが小さく、右ハンドルで日本車を輸出しやすい旧英連邦の国々だ。実は過去にイギリスでオークション事業を展開したこともある。規制等で頓挫したが、「アングロ=サクソン系の市場を逆から攻め上がり、いつかアメリカで勝つこと」が長年の夢だった。 夢が再び動き出したのは、17年に東証二部に上場してからだ。豪州自動車業界にいた20年来の友人が取締役として参画。上場企業としての信用力と現地のネットワークを武器にして、NZの5倍の市場規模をもつオーストラリアでM&Aを模索し始めた。 最初は新車輸入代理店を買収して販売権を得ようとした。しかし、海外メーカーから「どこの馬の骨かわからない」と横やりが入って断念。買収したオートパクトも、3年前は評価額が高くて手が出なかった。それでも焦らないのが山中のスタイルだ。「オートパクトはPEファンドが保有していたのですが、結局上場に至らず、彼らは価格を下げて譲渡先を探さざるをえなかった。機が熟すまで我慢したかいがあった」 山中は「天地人」という言葉を大事にしている。PEファンドが手放さざるをえなかった「天の時」、NZの隣国で右ハンドルという「地の利」、豪州に詳しい友人が加わった「人の和」。M&A戦略による1000億円突破は、それらが揃った結果だ。 ただ、M&Aは統合に失敗する企業も多い。その点をただすと、「ひとりで見る夢はただの夢。みんなで見る夢は現実になる」というジョン・レノンの言葉を引き合いに出した。 「オートパクトの全体会議で、『豪州で一番になって、次はアメリカに行こう』と話しました。みんなそこまで考えていなかったようで、『面白い!』と前のめりになった。同じ方向を向けていると思います」 買収先の幹部たちを引きつけたものがもうひとつある。実は山中は52歳のときに個人的な活動として、レーサーになろうと思い立った。どうせなら世界の舞台に立ちたいと、ル・マン24時間耐久レース出場を目標にした。素人だっが、国内で腕を磨き、60歳でル・マンLMP2クラスに出走。59台中18位で完走した。彼らはこの話を聞き、山中が自動車を単にお金もうけの道具として見ていないことを知った。 「ル・マンはレーサー3人、スタッフ15人でひとつのチーム。レーサーだけでは何もできません。みんなで同じ夢を見ることが大事なのは経営と同じです」 チーム・オプティマスは世界最大のアメリカ市場にたどりつけるのか。山中のハンドルさばきが問われる。 やまなか・のぶや◎1960年生まれ。88年、日貿・ジャパントレーディング(現 日貿)を設立。水産食品輸入業から開始し、中古自動車の輸出業に転じる。2015年、株式移転によりオプティマスグループを設立し、代表取締役就任(日貿は100%子会社に)。17年東証二部上場。
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