人生の刹那の輝きを冴えた描写力で切り取った「再発見された」作家(レビュー)
ルシア・ベルリンの三冊目の短篇集はこれまで同様、表紙に彼女の写真が使われている。撮影者は三番目の夫だ。彼女はこの夫とも前のふたりとも別れ、四人の息子をひとりで育て、アルコール依存症を克服し、生涯に七十六の短篇を書いて六十八歳で他界。 こうした私生活ばかり注目されるのは問題だとしても、人生と切り離しては作品の神髄に到達できない。それは彼女が実人生をモチーフに小説を書いたからではなく、書き方自体が生きた軌跡によって選びとられたからだ。 表題作の「楽園の夕べ」を見てみよう。海辺のホテルでバーテンダーをしているエルナンは、読み書きもできない浮浪児から努力してこの職に就き、山奥の町出身の女の子と家庭を持ち、ふたりの娘の父親になった。彼の美徳は常にいまの自分が幸せだと感じられる刹那主義にある。 リゾートは外部の人間と土地の人が触れ合い、互いを利用する場所。町では映画『イグアナの夜』のロケが進行中で、ホテルの宿泊客の大半は関係者だ。ビーチボーイのベトは端役をもらい、色男のトニーは女優のエヴァ・ガードナーといい関係に。マリファナ売りのビクトルは大繁盛し、年上の金持ち妻の寛大さに甘えて女達と楽しんでいるアメリカ人サムはベッドの失態を嘆いている。 どの人も刹那を生きていて、浮世離れしているが俗っぽい。そのありのままの姿をベルリンは写真を撮るように綴る。刹那の輝きこそが書き留めるのに値すると信じているかのような冴えた描写力である。 「子供のころ、自分に眠りが訪れる瞬間をなんとかしてとらえようとした」という「ルーブルで迷子」の最初の一行は瞬間に囚われて生きてきたベルリンらしい言葉だ。刹那の輝きを集めて現実の生きにくさを踏み越える力に換えること。彼女にとって書くことはその魔術を体得する作業だったのだ。 [レビュアー]大竹昭子(作家) おおたけあきこ1950年東京生まれ。作家。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆。小説に『図鑑少年』『随時見学可』『鼠京トーキョー』、写真関係に『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』『出来事と写真』(共著)など。朝日新聞書評委員。朗読イベント「カタリココ」を開催中。[→]大竹昭子のカタリココ 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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