【未解決】「犯人へのご褒美なのでしょうか」時効撤廃へ…上智大生殺人放火事件の遺族と歩んだ記者
日テレNEWS
上智大生殺人放火事件は9月9日に未解決のまま、27年になります。時効は撤廃され、捜査は今も続けられていますが、その背景には殺害された小林順子さん(当時21)の父・賢二さんの闘いがありました。 賢二さんに寄り添い、ともに歩んだ日本テレビの森田陽子記者に当時の話をききます。
■未解決 1996年に起きた上智大生殺人放火事件
1996年9月9日、東京・葛飾区の自宅で上智大学4年の小林順子さんが、首を刃物で刺されて殺害され、自宅を放火されました。 現場では、身長150センチから160センチくらいのコート姿の男が目撃されましたが、放火で痕跡の多くが燃えてしまったことなどから、捜査は難航しました。
事件は現在に至るまで解決していません。
■順子さんの遺族と出会った記者 アメリカ留学を控え「なんでこんな事件が起きたんだろう」
日本テレビ報道局社会部の森田陽子記者は、2004年、警視庁記者クラブに配属され、捜査1課を担当することになり、順子さんの事件の資料を見つけました。 2日後にアメリカ留学を控え、夢に向かって生きていた大学生の順子さんはなぜ事件に巻き込まれてしまったのか。順子さんと年が近かった森田記者は、この事件に関心を持ち、順子さんの両親の取材をすることにしました。
2006年には、事件から10年の心境を取材し、放送。留学に向け、順子さんが母・幸子さんと準備していた荷物を見せてもらいました。 森田記者 「アメリカに送った荷物とか『これ準備するときこんな会話したんだよ』というのをお母さんがしゃべっていて、当時すごく楽しかっただろうなと思って。そんなときに何でこんな事件が起きたんだろう、悔しいだろうなというのはすごく想像できる」
■「事件から何年」のカウントが「時効まで何年」のカウントダウンに…記者が抱いた疑問
事件の風化を防ぎ、なるべく早く事件が解決するようにとこまめに連絡を取り合い取材を続けた森田記者。しかし、犯人が捕まらないまま月日が流れ、ある違和感を抱くようになりました。
森田記者 「最初は、事件から何年で、犯人が捕まらなくて、『どうしてだ』みたいなのがすごく強くて。『この事件を風化させてはならない』という気持ち。私ももちろんそういうふうに取材したんですけど、途中から『時効まであと何年』みたいなカウントダウンになってきて」 森田記者が感じたのは、時効が迫り、あと数年で犯人が捕まらなくなってしまうという遺族の焦りでした。