沖縄県系人留学生が戦跡をめぐりルーツの歴史を学ぶ 「生き延びてくれてありがとうと伝えたい」
沖縄にルーツをもつ海外の若者たちに沖縄戦への理解を深めてもらおうと、読谷村で平和学習会が開かれました。 【写真を見る】沖縄県系人留学生が戦跡をめぐりルーツの歴史を学ぶ 「生き延びてくれてありがとうと伝えたい」 はじめてガマなどの戦跡を訪れた世界のウチナーンチュたちは、いったい何を感じたのでしょうか。 今月9日、読谷村で開催された平和学習会。真剣な様子で耳を傾けているのは、沖縄にルーツをもつ海外の若者です。県の留学生受け入れ事業でことし秋から文化や芸能などを学んでいて、沖縄戦に関する研修はこの日が初めて。 アメリカ出身・古堅美佐さん(2世) 「(沖縄戦について)あまり詳しくないですね」 「アメリカ人として聞くと、アメリカと日本の関係、基地の関係とか、けっこう複雑に思いますね」 今回は、米軍の上陸地点となった読谷村での沖縄戦を学びます。一行が訪れたのは村の文化財に指定されている「掩体壕(えんたいごう)」。日本軍によって造成されたコンクリート製の飛行機の格納庫です。 読谷村教育委員会・中田耕平学芸員 「こういう掩体壕も住民たちが駆り出されてつくったんですね」 日本軍の飛行場は、米軍の上陸後そのまま米軍の基地に転用され、軍事拠点となりました。戦後、飛行場が全面返還されるまでに60年余りかかるなど、戦争の「後始末」が今も続いていることも含めて、人々の歩みを学びます。 最も留学生の心を強く揺さぶったのは、チビチリガマ。アメリカ軍上陸の翌日、集団自決により83人が亡くなりました。 読谷村教育委員会・中田耕平学芸員 「戦争をしている国の捕虜になるということが、恥。よくないこと。彼ら(敵国)は、住民であろうと、女性であろうと、子どもであろうと、関係なくひどいことをして殺すというこようなことを、情報を伝えるんですね。なので、ひどい目にあって死ぬぐらいなら、自分たちで命をたとうと、そういうところに追い込まれていく」 家族同士で命を絶つ悲劇が発生。犠牲者の6割以上が子どもでした。 読谷村教育委員会・中田耕平学芸員 「戦時下の誤った情報、間違った情報のなかで、住民たちが83人も命を落とさなくてはいけなかったということが、戦争のもつ怖さ」 オーストラリア出身・奥田カレンさん(2世) 「本当に忘れちゃいけない話だなと思いました。集団自決をしたとか、子ども達もいたって言っていたんですけど、その人たちの思いをちゃんと今でも知って、どういうことがあって、今があるかということを知るのはとても大切だと思います」