忍び寄る傲慢の記録~ラグビーW 杯のアイルランドが落ちた沼~
そして、あの棍棒にして小動物のような太い腕の身長203cmのジャイアントはこうも述べた。
「自信を持つのは構わない。でも傲慢になってはならない。なぜなら、どんなに調子のよいシーズンを過ごしてきても、ひとつのつまずき、ひとつのタックルのしくじりで台無しになるからだ。それがこのゲームの魅力でもある。永遠にトップにいるなんてありえない」(同)
ワールドカップ2連覇の主力の重い実感である。
いまは亡き俳優、渥美清がいつか語っている。
「作り手が自信を持ったときは、彼がどんなに謙虚であろうと努力しても、端から見ればどこか傲慢に見えたりするもんなんです」
図書館で借りた書籍かテレビの映像か、感動して、何年も前、とっさに携帯端末にメモを残した。不覚にも引用元を書き留めるの忘れたが内容はこのままだ。鋭く、ちょっとおそろしい一言である。
アイルランドもまた「端から見れば」の沼に落ちた。「決勝で会おう」は「あなたたちにはその資格がある」という社交のつもりかもしれなかった。でも、そんな余裕がすでに危険の兆候なのである。まれにも挑む者の意識を濃く抱いたオールブラックスとの激突は、いま振り返れば、準々決勝にして決勝だった。
みずからを強く信じられなければ最後に負ける。世のほとんどのチームにとって傲慢に近づくのはとても簡単ではない。自信と過信を隔てる幅は観念においては広く、現実には狭い。ここのところの「きわ」は、そのときのチームだけでなくクラブ、あるいは国代表としての苦い経験の蓄積によってなんとかつかまえられる。「負けて学ぶんじゃ、アホ」(大西鐵之祐)はとことん正しい。
歓喜を知り、さらに勝ち続け、つい傲慢となり敗北、そうした繰り返しを経て、しだいに「永遠にトップでいるなんてありえない」(エツベス)の境地をつかむ。2023年のアイルランドは、長いヒストリーでの頂上体験の乏しさゆえ、初めての傲慢の波をよけられなかった。