市毛良枝「90歳を過ぎた車椅子の母とオレゴン旅行へ。声も発しなくなっていた母の表情は、オレゴンで生き生きと別人のように変わっていった」
母の介護を13年近く続けた市毛良枝さん。市毛さんの母は、脳疾患と大腿骨骨折により歩けなくなることが懸念されていました。しかし、懸命なリハビリで医師も驚くほどに回復し、90代では海外旅行を楽しむまでに。さまざまな葛藤を乗り越えて母に寄り添った市毛さんが、その姿から学んだことは(構成:丸山あかね) 【写真】アメリカ・オレゴン州の雄大な大自然を満喫 * * * * * * * ◆飛行機の中で人生を終えたとしても そうこうするうちに、母は元気がなくなっていきました。ひとりでは出かけられないし、病気の後遺症で針も持てない。なんとか励ます方法はないかと思案して閃いたのが、海外旅行でした。 以前、母に「もし私と旅するならどこに行きたい?」と聞いた時、「オレゴン」と言ったことを思い出したのです。かつて私が出演したドラマ『オレゴン日記’89』のロケ地であるオレゴン州ベンドの風景を実際に見てみたい、と。 さっそくオレゴン州に関わる仕事をしている友人に相談しました。母は車椅子での移動になるので、現地でサポートしてくれる人の手配を頼んだところ、「私も一緒に行こうかな」と彼女が言い出したんです。 さらにもう1人、参加したいという友人が現れて。2人が一緒ならなんとかなるだろうと実行に移しました。母が92歳の時です。
車椅子も入念に点検し、いざオレゴンへ。修学旅行以来の楽しい旅でした。母もずっとご機嫌でニコニコ笑い、現地の人との交流を楽しんで。帰国後もまったく疲れを見せなかったし、むしろ元気になっている。 私たちはすっかりオレゴンの虜になり、なんとそれから翌年、翌々年も4人でオレゴンを旅しました。(笑) 最後に訪れたのは14年。母は98歳でした。私がチャリティーイベントに出演するためオレゴンへ行くことになったのですが、その企画に携わる友人に「お母さんも連れておいでよ」と言われたんです。そして本人も「行きたい」と。 5年近くの間に母の衰えは進み、ほとんど車椅子での生活になっていましたし、食事も固形物は喉を通りづらくなっていました。でも、母は退屈させると死んでしまうタイプの人だったので(笑)、行ける可能性を探ってみることにしたのです。 まず医師に相談したら、ご家族にその覚悟があるかどうかだと。続いて航空会社に勤める友人に、気圧の変化に耐えられるか相談。現地で病院にかかることを想定して、海外旅行保険だけは単独で入ってね、と助言してくれました。つまり、無理だという見解ではなかったのです。