浪商「牛島・ドカベン」バッテリー、PLの新井宏昌 「私学7強」輝いた大阪のヒーロー 甲子園球場100年
春の選抜大会、夏の選手権大会と高校野球の全国大会の舞台となっている甲子園球場(兵庫県西宮市)が今年8月で開場100年を迎える。長い歴史で常に中心にいたのが地元の大阪勢。日本一の回数は春が12度、夏が14度といずれもトップ。聖地での試合を経験した「なにわのヒーローたち」のベストナインを独自に選び、年代別に4回にわたって紹介したい。自分流のベストナインを選んでみたり、打順を考えてみたりと楽しんでいただけたら。まずは1970年代からみてみよう。 【写真】甲子園をわかせた牛島、香川の浪商バッテリー。香川は「ドカベン」の愛称で親しまれた ■牛島と香川 この年代で最もインパクトがあったバッテリーは浪商(現大体大浪商)の牛島和彦、香川伸行だろう。投手は細身でやんちゃな感じ、捕手は水島新司さんの野球漫画にちなんで「ドカベン」と呼ばれ、巨体を揺らしていつもニコニコ。ただ、試合になると牛島は抜群の制球力でキレのある速球を投げ込み、香川は軟らかいバットコントロールで、3試合連続を含む甲子園通算5本塁打を放つ長打力を存分に発揮し、チームを79年春は準優勝、夏もベスト4に導いた。 2人とともに下級生のころから試合に出ていたのが遊撃手の山本昭良。香川とともに長打力を発揮し、79年夏は2試合連続の本塁打を放った。 牛島はドラフト1位でプロ入りし、中日、ロッテで奮投。横浜(現DeNA)の監督も務めた。香川も南海(現ソフトバンク)に入団。2014年に52歳の若さで亡くなった。山本は南海にドラフト外で入団したが、1軍出場はなかった。 ■初の準優勝 1980年代に一時代を築くPL学園が70年夏、初の決勝進出を果たして準優勝。5割超の打率を残したのが新井鐘律(のちに宏昌)。プロで通算2038安打という「安打製造機」の片鱗(へんりん)を示した。このチームのエースは新美敏。甲子園準優勝投手として社会人に進み、プロの日拓(現日本ハム)では2桁勝利を挙げて新人王に輝いた。 79年春に4強に進んだPL学園の4番は小早川毅彦。法大を経てプロの世界に入った。 この年代はまだ、甲子園出場経験を持つ「私学7強」(興国、明星、PL学園、浪商、大鉄=現阪南大高、北陽=現関大北陽、近大付)がしのぎを削っていた。ベストナインには77年夏の3回戦で史上初のサヨナラ満塁本塁打を放った大鉄の川端正、70年春の北陽の準優勝に貢献した才田修、神垣雅行、73年夏に1年生ながらレフトで出場した北陽の岡田彰布(現阪神監督)らが入った。