阪神大震災が災害ボランティアの萌芽に 被災地に殺到という批判も 重要なのは「調整力」 備えあれ③奉仕力
30年前の厳冬、未曽有の激震が神戸を襲って数日後。兵庫県災害対策本部の報道担当だった高橋守雄(76)は、訪れた避難所で「見慣れない光景」を目にした。肌を刺す寒さの中、全国から駆け付けた多くの人たちが避難所の運営を手伝い、物資を配布していたのだ。今や当たり前となった災害ボランティアの「萌芽(ほうが)」だった。 【比べてみる】主な大規模地震でのボランティア活動者数 ■全国から集まるボランティア 「心強い」 平成7年1月の阪神大震災で集まったボランティアは、県の推計によると発生1カ月で延べ約62万人。2カ月で同約100万人と驚異的な数字だ。高橋は「高速道路が寸断されたので、リュックを背負い、自転車やバイクで全国から駆けつけてくれた。心強かった」と振り返る。阪神大震災が「ボランティア元年」と呼ばれるゆえんだ。 発生当初のボランティア活動は食料配給や救助活動などが中心だった。発生から1カ月を経て次第に高齢者や子供の心のケア、家の片付けといったソフト面の支援も担うようになる。 ただ、次々に被災地を訪れるボランティアが一部避難所に集中したり、宿泊先の手配などを行政側に求めたりして現場は混乱した。県が7年2~3月、避難所の管理者に実施した調査でも、ボランティアを巡って困ったことを聞くと、「突然来る、帰る」との回答が7割近くを占めた。 高橋はこの経験から震災後、自ら災害ボランティアとして活動する傍ら、ボランティアの環境整備にも力を注いだ。23年の東日本大震災では「阪神での反省を生かしたい」と津波で甚大な被害を受けた被災地の人たちに代わり、ボランティアを差配する役割を担って混乱を防いだ。 ■「ボランティアの大衆化」と課題 「もともとボランティアは1万人に1人が行う『少し変わった行動』という認識だった」。京都大防災研究所教授(防災心理学)の矢守克也(61)は指摘する。その意識を一転させたのが、150万人都市・神戸を壊滅させた震度7の激震だった。 全国からボランティアが殺到し、「一気に大衆化された」ことで混乱という課題が浮き彫りになった。7年12月に改正された災害対策基本法では、行政がボランティア活動の環境を整えるよう明記された。