【ボート】西島義則の進化論~3000勝の次は2連対5000回へ~
「ボートレース記者コラム 仕事・賭け事・独り言」 2024年8月1日、浜名湖ボート初日4Rで西島義則(62)=広島・49期・A1=が逃げて勝利。歴代5人目となる通算3000勝を達成した。20歳代の頃から西島を知る私は、ついにこの時がきたかと感慨深かった。ボート界の創生期に活躍したレジェンドを超えるのは西島以外にいない。それも悠々と駆け抜ける。そう信じていた。 北原友次氏、加藤峻二氏、倉田栄一氏、岡本義則氏。3000勝の大台を超えた選手はこの4人。神様と称された倉田氏以外の3人と、私は一緒に仕事をしている。レジェンドの現役時代を知る数少ないベテラン記者になった。ボートマスコミの創設者である記者の言葉に、『義則にハズレなし』がある。大物ぞろいの義則の中で、西島は3000番台のホープだったのだ。長い時を超え、“岡本先生”の3030勝を射程圏に入れた西島は、「まず、岡本義則さんの記録を年内に超えたい」と目標を掲げた。 若い頃の西島は1着を並べるタイプ。1111111F11。なんてざらだった。2019年12月の児島では9連勝で優勝戦の1号艇。そして結果はF(フライング)。私は心の中で、「アルファベットだけはやめて。数字で戻って来て」と祈ったものだ。ボートレースではフライングはF、転覆等の失格はSで表記される。そう、かつての西島は『1』かアルファベットの人だった。 3000勝の大記録を打ち立て、お盆レースで、地元宮島に凱旋(がいせん)した西島は柔和な笑顔で取材に対応。意外だったのは1着へのこだわりではなく、2連対への思いだった。「走り続けとったら3000勝はできる。それより、1万走以下での2連対5000回。今は3連単が主流じゃが、ファンへの貢献は1、2着。こっちを評価してほしい」と熱弁を振るった。8月19日現在、1着は3009回、2着は1977回。目標とする2連単5000回まであと14。「エンジンの仕上がりによって、どうしても2、3着にまとめんといけん場合もある」と最近の西島は堅いレースもしている。「日高逸子が、最近1着が取れないとかゆうとったが、2着によう粘っとる。それが大事。じゃけえ、同い年の日高をリスペクトしとるよ」と称賛。日高と西島は共に昭和36年10月生まれ。走るたび記録を生み出す最強の62歳だ。 西島のかわいい弟分である木山和幸(54)は浜名湖に出場し、3000勝達成の瞬間に立ち会い、水神祭で一緒に水面に飛び込んだ。「普段はカポックを着とるけぇ、水に入っても浮かぶけど、西島さんと2人でおぼれかかったよ」と62歳と54歳の水神祭を振り返る。最も西島を知る木山に西島の強さについて聞くと、西島が大切にしている言葉を教えてくれた。それは、チャールズ・ダーウィンの名言。『最も強いものが、あるいは最も知的なものが、生き残るわけではない。最も変化に対応できるものが生き残る』。まさしく、西島の人生そのものだ。20歳代はダッシュ戦の弾丸ターンで勝ちまくり、30歳代以降はインのスペシャリストに方向転換。50歳代では大ケガを乗り越えて奇跡の復活劇を演じ、今この瞬間も、西島は進化し続けている。彼が今最もこだわる、2連対5000回達成の日も近い。(ボートレース宮島担当・野白由貴子)