「なんぼでもいいから見てね」...伝説のストリッパーの「全身全霊の裸」に男たちが涙をこぼす“意外な理由”
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるまでに落ちぶれることとなる。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第21回 『「舞台のほうが何倍も濡れた」…わいせつ罪で法廷に立ったストリップ界の女王の「子宮に飲み込まれるような一体感」の秘密』より続く
踊り子の心遣い
一条の芸の素晴らしさは度胸や迫力、そして真剣さからきていた。ただ、彼女の人気はそこだけにあったのではない。彼女の心遣い、優しさを懐かしむ男性は多い。舞台で自分の陰部を突き出しながら、客席に向けこんな言葉を投げている。 「おっちゃん、よう見えるか。こんなんでよかったら、じっくり見てな」 埼玉県出身でありながら、言葉はすっかり大阪弁である。そのため、一条を大阪出身と思っていたファンも少なくなかった。 「お父さん、お待たせしましたね。雨の降るなか、わざわざ来てくれて、おおきにありがとうね。ゆっくり見てや」 「お久しぶり。また、来てくれはったんやね。ちゃんと見える?」
時には愛人、時には母親
そして、若い学生にはこうだ。 「お兄さん、よく見て、そして帰ったらちゃんと勉強するんやで。若いときはいろいろと経験を積まなきゃあかんからね」 舞台上の彼女は時には愛人、時には母親になった。 とにかく客席に気を遣っていた。イーデス・ハンソンとの対談では、こう語っている。 「土曜日になって、超満員になると、ああいうところは舞台に人がワッと寄ってきますでしょう。どうしても事故が起きたり、お金をとられたり、定期とられたりするんです。 ですから、あたしは必ず、『お金入れとか貴重品だけは気をつけてくださいね』とか、『楽しんだあとで、電車賃がないっていったら、あたしたち責任があるからね』って言うんです」 客を気遣い、最大限のサービスを提供するのは当然と考えることもできる。ただ、当時のストリップ業界では、それはむしろ珍しかった。この業界に詳しい一色は、「踊り子が舞台から客を叱り付けるなんてことは珍しくなかった」と証言する。 ヒモのようなヤクザに売られるようにして舞台に出ている女性や、大衆演劇が下火になり、座員を食べさせるため座長の妻が裸になるケースが少なくなかった。好きで舞台に立っているわけではない。他人のためにしぶしぶ裸になっている。 だからテープ室から音楽が鳴っているのに踊り子が出てこない。客がどうなっているのかと思っていると、舞台の袖からたばこの煙がすーっと舞台に流れてくる。踊り子がたばこを吸って時間稼ぎをしているのだ。