【今年4月死去】曙太郎さんの妻が明かす… 最期まで家族に伝え続けた“不屈の精神” 「宝を遺してくれて…ありがとう」
アメリカ・ハワイ出身で、外国出身力士として初めて横綱までのぼり詰めた曙太郎さん。 今年2024年4月、心不全のため54歳で亡くなりました。 【写真11枚】曙太郎さんの妻が明かす… 最期まで家族に伝え続けた“不屈の精神” 曙さんを最期まで支えた妻のクリスティーン麗子さんが、7年に及んだ闘病生活、そして曙さんが家族に遺してくれたことを『めざまし8』に明かしてくれました。 曙さんの妻・クリスティーン麗子さん: みんな土俵の上の顔はやっぱり怖い顔を覚えていると思うんですけど、家の中では本当に優しい顔。全然違う。もう二重人格みたいな感じで…。
病気や後遺症にも諦めない“不屈の精神”
曙さんは、同期入門でのちの第66代横綱・若乃花と第65代横綱・貴乃花の「若貴兄弟」をライバルに数々の名勝負を繰り広げ、その強さを日本中に知らしめました。 1998年に曙さんは知人の紹介で知り合ったクリスティーン麗子さんと結婚。3人の子どもに恵まれます。 2001年、31歳で現役生活にピリオドを打つと、格闘家に転身。 その後、プロレスにも挑戦しますが…2017年、47歳の時に突如、病に襲われます。 クリスティーン麗子さん: ドライバーさんから「緊急でICUに入っているので大変です」って電話がありました。 酸素が脳にいかなかったから…。 プロレスの試合後に体調不良を訴え急性心不全で入院。その後は後遺症に悩まされる日々が続いたといいます。 そこから約7年にもわたる闘病生活が始まります。 クリスティーン麗子さん: 記憶障害で自分に何があったかっていうことが分からなかったから、いつも「僕に何があったの?なんで入院してるの?」って。 (成長した)子どもがパパに会いに来ると「何でこんなに大きくなったの?」って…。時間が進んでいるっていうことが分からなかった。 そうした状況にあっても「家族が待つ家へ帰る」ことを目標に、曙さんは苦しいリハビリに挑戦し続けたといいます。 入院当初は、リハビリスタッフ4人が支えて立ち上がるのがやっとでしたが、半年後にはスタッフ1人の支えで立てるように。 クリスティーン麗子さん: 特に子どもたちにね、何かやるんだったら100%出すっていうこと。諦めないようにギブアップしないように。全部を出すっていうことをいつも小さい時から言ってました。 2~3回ぐらいは、ちょっと(容体が)危ないところまで行ったんですけど、すぐに復活したんですよ。「お父さんって強いものなんだな」って子どもたちも。 病気や後遺症にも決して諦めない“不屈の心”を身をもって家族に伝え続けた曙さん。 亡くなる数日前も…。 クリスティーン麗子さん: (亡くなる数日前は)普通でした。本当に元気。 苦しんで逝ったっていうよりも、本当にもうね、目をつぶって寝ちゃった感じ…。 きのうも長男がお父さんのところに帰ってきて話しかけて(遺骨に)触ったんですよね。 まだ触れるということがあるから…まだ近くにいるっていう感じ。 子どもを3人、宝を遺してくれて…ありがとうって…。 (『めざまし8』 2024年12月25日放送より)
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