女主人がひとりで切り盛りするラーメン店「純麦」に伊丹十三監督の『タンポポ』が重なった
その貴族趣味の伊丹十三(エッセイを書いた当時は、伊丹一三で、名監督で知られた伊丹万作の息子である)が、東京の下町の郷土料理「ラーメン」をテーマに、宮本信子が女主人となり、孤軍奮闘する映画を作った。「マカロニウェスタン」が流行った頃で、それの「ラーメン」版と言ってよい。 私が「東京・味のグランプリ」という「すし、そば、てんぷら、うなぎ、とんかつ、ラーメン」と言った東京下町のソウルフードのガイドブックを出版していたことがきっかけで、伊丹監督に呼ばれ「美味しいラーメン屋の見分け方」をお伝えしたことを思い出す。
最初に運ばれてきた「八寸」に意表を突かれた
「純麦」の席料は、ラーメン屋さんの常識を破るかなり高価なものだった。指定された時間ぴったりに店を訪れると、店内は簡素だが清潔で、カウンター8席。まずは、飲み物を決めなくてはならない。どんなものが出てくるかわからないまま、消去法でキリンのビールにした。席に着いたお客さん全員が、ハートランドだった。 しばらくして目の前に運ばれてきたのは、日本料理でいえば「八寸」で、小鉢などにつきだしの当たるような料理が盛り込まれていた。なんとも意表を突かれた感じで、箸を進めた。なかでは、「締めたかすご(小鯛)」が美味しかった。でも、ビールとは合わない。ひと昔前のラーメン屋だったら、常連がビールを頼むと、メンマが小皿に盛られて出てきたものだ。例えば、メンマをごま油に絡めて出てきたら、さぞビールと相性がいいだろうと思われた。
出汁がほどよく香り、細めの麺とよく調和した逸品
いま、評判の日本料理屋では、京都の「浜作」でも東京の「明寂」でも「八寸」は出てこない。「浜作」では昆布と鰹節で引いたばかりの出汁を味わわせてくれる。「明寂」では、昆布と鰹節を使わず、素材の香りと淡くかすかな香りの出汁を楽しませてくれる。 「純麦」ならば、これくらいイノヴェーティヴなスターターを考えてもよろしいのではないかと思う。
主菜に当たるラーメンは、出汁がほどよく香り、細めの麺とよく調和して「純麦」の名にふさわしい逸品だった。ただし、そのあとの白飯に薄片の肉を被せた一皿が、シンプル過ぎてアイデア不足を否めなかった。実山椒や木の芽を添えるか、溶き辛子をつけるかの工夫があってもよかったのではなかろうか。