イリュージョンのような少年時代を過ごして…山上兄弟の告白「てじな~にゃ」誕生から20年
「てじな~にゃ」 そんな愛くるしいキメ台詞と共に、空中浮遊などのガチマジックを披露していた少年コンビを覚えているだろうか。 【画像】こんなに大きくなって…!アラサーになった「てじな~にゃ」山上兄弟 山上佳之介(よしのすけ)(30)と山上暁之進(あきのしん)(28)による『山上兄弟』は、小学校低学年だった’02年に「世界最年少イリュージョンアーティスト」としてギネス世界記録に認定された天才小学生マジシャンだ。’04年発売の手品DVD、その名も『山上兄弟のホップ!ステップ!マジック!!~てじな~にゃの巻~』をきっかけに大ブレイク。「てじな~にゃ」が誕生し、そこから20年が過ぎた今もマジシャンとして活動している。アラサーとなった二人が少年時代を振り返る。 兄・佳之介「父親がマジシャンだったから、オモチャよりマジック道具のほうが多い家庭だったんです。オモチャ代わりに遊んでいるうちに自然とマジックに興味を持った。だから、デビューする時も遊びの延長線上でステージに立ったりテレビ局に行ったりしている感覚でした」 弟・暁之進基本は学業が優先だったため、放課後に仕事を入れていたのですが、夏休みや冬休みは毎日仕事をしていました。今考えると、すごい生活をしていたなと思います」 東京・江戸川区出身の小学生に『エンタの神様』(日本テレビ系)や『おはスタ』(テレビ東京系)など、バラエティを中心にオファーが殺到。『野村不動産』や『オリエンタルランド』など10社を超えるCMにも出演した。懸命に働く小さな後輩を、各界の大先輩たちはたいそう可愛がっていたという。 暁之進「『徹子の部屋』(テレビ朝日系)でお世話になった黒柳徹子さん(91)が僕たちのためにケーキを焼いて下さったり、桂由美先生(享年94)がブライダルショーに呼んで下さったり……」 佳之介「マジシャンは特番や単発のバラエティの出演が多く、ドラマ撮影のように長期間ご一緒するわけではない。なので、出演者同士が仲良くすることがあまりないんです。それでも、マギー審司さん(50)や『ナポレオンズ』さんには可愛がっていただいた。僕らのディナーショーもお忍びで見に来て下さいました」 売れっ子だったが、生活は楽ではなかったという。 佳之介「僕たちマジシャンのギャラは、みなさんが思っているほど高くない。それに道具や衣装は自前で、出費が多かった。成長期なので特注の衣装を何度もリニューアルしないといけなかったんですよ。あと、マジックって常に新しいネタを要求されるんです。そうすると、新しいイリュージョン道具を作らないといけない。道具によっては新車が1台買えるぐらいのお金がかかる。海外でのショーの遠征費も相当かかったようです。自転車操業でしたね」 ◆コロナ禍で「収益がゼロ」に それでも「辛いと感じたことはなかった」と暁之進は言う。 暁之進「むしろ、大人になってからのほうが大変でしたよ(笑)。小学生の時は親やスタッフが準備をしてくれましたが、今は自分たちで巨大な重いマジックの道具の搬入搬出をしないといけない。’11年頃からほぼ毎年、マジックの単独公演を行っているのですが、自分たちらしいマジックを考えるのも大変です」 佳之介「’10年に『劇場版TRICK』に出演した頃がピークで、中学・高校になると仕事がだんだん落ち着き始めました。それでも仕事がなくなることはなかったんですが、コロナ禍で一気に仕事がなくなりました」 暁之進「20年間ずっと続いていた仕事と収益が、いきなりゼロになる。自分たちは人を集めて見ていただく仕事。コロナ対策とは真逆で死活問題でした。コロナが落ち着いてからも、しばらくショーでは感染防止用のボードを使わないといけなかった。それだと兄弟での合わせ技マジックができないので、片方がソロマジックをしている間、もう片方は喋りネタでカバーするしかなかったんです」 苦悩のコロナ期を経て、兄弟はマジック一本から仕事の幅を広げるべくリスタート。「マジック以外の仕事でも人を楽しませたい」という思いから俳優や声優としても活動している。 佳之介「たまに『マジックだけやってればいいじゃん』と言われるけど、僕は『何したっていいじゃん』と思う。だから芝居もするし、声の仕事もする。最近はネットフリックスのドラマ『忍びの家』の監修で木村多江さん(53)などにマジック指導をしたのですが、僕が監修で入ってるのはあまり知られてないんじゃないかな。これからは、みんなの知らない山上兄弟を知ってもらいたいです」 暁之進「あとは、変なことでフライデーに載らないことですかね(笑)」 ″世界最年少マジシャン″はイリュージョンのような日々を経て、大人のエンターテイナーへと成長していた。 『FRIDAY』2024年9月20日号より
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